自給自足は危険なの?野生動物と私たちの暮らし

1.鶏が卵を産む場所。

嫁です。
タイの山岳地帯にいた頃、コッコさんの卵を産む場所がありました。
動物としてごくごく当たり前のことなのに、それを見て衝撃のようなものを受けたんです。

日中はどこのおうちも放し飼いのコッコさんたち。
コッコさんがどこで卵を産むかといえば。。

バナナの木の根元。
(バナナの木は栄養が豊富だから土もふかふかで最高のベットだったんだろうな)


キッチンの七輪の後ろ。
(灰のベッド、身を隠せるちょうどいい場所。


そんなごくごく普通の日常なのにびっくりしてしまった私がいました。
卵を産む場所、というより、こんな風に卵を産むんだって知り、驚いた自分に驚いたというか。。

わたし、卵は巣箱の中か、養鶏場のゲージで産み落とす姿しか想像した事がなかったんです。

人だって出産は特別なもので、危険なところや騒がしいところでするものではないし、心地いい環境で産みたいから、近代の産婦人科さんは、おしゃれなところが増えたんだと思うんです。

鶏も同じだって知って、ハッとしたんです。

山で暮らす鶏たちは、大切な卵を産むために心地いい場所を自分で選ぶ本能が鶏にはちゃんとあって、身を守れて、安心できて、母子にとって心地いい場所を選んでたのですよね。

食物連鎖の循環としていただいてはいるけれど、同じ地球で生きるものとして、ニワトリさんを見た気がする。

このなんとも言えない、でも、原点な感覚。。
自然に触れるって大事なことですね。
原点の生き方を体感したくて、大自然の中で生きた私たちの一年。

それから私たちは日本でも山に住むようになりました。

そこでたくさんの動物の生きる姿を見せてもらっています。

そして、畑を作る私たちは、たくさんの知恵比べを彼らと毎年繰り返しています。

動物たちは強く賢い。

山に住んで4年。
私の中にある感情です。

2.わたしたちの畑の一年。

例えば大豆の場合。

春、畑に大豆を落とし、芽が出た直後を狙う鳩と睨めっこ。

待ちわびたのに、芽が出ずに地面の中で腐ってることもある。
そうなるとこちらは生き物たちの餌として、そこにある。

夏、さやに実が入って、さあ、明日あたりいただこうかな、と思うとネズミがやってくる。
一晩で食い尽くすこともあるし、雨が続いてるとその間になくなる。

秋、大豆になるのを待ちわびているころ、今度は鹿がやってくる。
山の野草が固くなり始めた9月の頭に、大豆の葉が狙われる。葉が食べられると、それ以上、実が太らない。

大豆を取り巻く動物たちとのストーリー。

一年目は、やられた後に、腹を立てていたけれど、四年が経ち、私の感情がかわりました。

この畑にくる動物たちの生き様をずっと見てきているから。

厳しい冬を生き抜き、子どもが生まれ、一生懸命育て、また1匹に戻っていく様。

一生懸命一人で生きて、ある日車にはねられ、たった1匹で横たわる身体をカラスが突いてるその姿。

私もあなたたちも一生懸命生きてることに変わりはないんだと、ずっしりと思うのです。

私たちは農家さんではないから、誰かにお野菜を分けてもらうこともできる。
それは人間が使うべき知恵だよね。

そう思うと、怒る気もせず、ただ、こちらも必死なので、来年は食べさせてあげらんないからね!と、淡々と知恵比べが続きます。

(どちらにしろ、今の私より、彼らの知恵の方が圧倒的に高い、笑)

そしてここには熊もいるので、じいちゃんの教えを守っています。

「とうきび(とうもろこし)と果物を植えないこと。」

野生動物と人との距離をとる配慮がここでは必要なのだと現実の暮らしから痛感しています。
そりゃあ、美味しいものを作ったら動物たちだって食べたいよね。

数年前の熊がそばの街におりた事件の時も、彼が狙っていたのは家庭菜園のとうもろこしでした。

山の近くに住むものとして、いくら自分達が欲しくてもやってはならないことがある。

そんな謙虚さもここで学んでいます。

3.それでも動物と人は持ちつ持たれいきてるのではないだろうかと思ったハナシ(ネズミとのこと)

ネズミが家に入って困ることもあります。
彼らは賢いので何度でも入ってきては食べ物を漁って逃げていきます。
ずっと困る存在だと思ってきました。

でもある年に。

畑のコンポストのそばに住むネズミがいました。

室内ではないので、私たちも黙って見ていました。
彼らは生ゴミを食べながら生きていたので、冬はコンポストの堆肥熱で暖かいし、食べるものにもこまらないし、呑気に暮らしてるなあと観察していました。

ある日ね、気が付いたんです。
コンポストの中を引っ掻き回して食べ物を探した彼らの形跡。
冬の間中、彼らがそれを繰り返すことでこのコンポストの中の分解が続くのだとしって、思わず「持ちつ持たれつだね。」とネズミに話しかけながら笑いました。

4.アリとのこと。

こちらはタイの山岳地帯にいた頃のこと。
竹でできた床と屋根、簡易な竹壁だけの高床式のお家ですから、アリや、カメレオン、蛍、いろんな生き物が出入りします。

数日、アリの行列が続いてこまったことがありました。
うっかり踏んで噛まれるたら痛いから、結構厄介さんなんです、笑。

で、毎日箒で履いてたんです。

でもある日ふと、彼らは何を求めてるんだろうと観察をしていきますたら、カメレオンのうんちを運んでいたんですね。

彼らはお掃除屋さんをしていた訳なんです。

それを見てハッとしました。
虫たちの動きは、地球の循環の一部なのだろうと。

それ以来、虫の動きをそんな目で眺めます。

ある時期になると、うちの屋根に頭だけ生きてるクワガタが取り残されています。
カラスが柔らかい身体だけを食べて、頭を残していくんです。
クワガタって頭だけになってもすぐには死なないんです。
きっと、水分が尽きて死んでいくのでしょうね。
3日は生き続ける。

ちょうど我が家も、雪が溶け、雨漏り防止のペンキを屋根に塗る時期で、毎年見ることになるのです。

見るたびに、心痛める娘と、食物連鎖の話になります。
私たちも巡り巡ってそうして生かされてるのだと親子で学ぶ瞬間。

カナヘビが大きなカマドウマをバクバク食べる瞬間もびっくりするくらいの圧巻です。。

沢山の生死が目の前で繰り広げられ、自分達が地球の循環の中にいることを実感する暮らしがあります。
私もそんな虫たちと同じ、地球上の一部なんだと、つくづく思わさる。

今日は、なんともまとめ難いテーマですが、生きるということ、死んでいくということを、ここではたくさん感じ、揺らぎ、考える瞬間があります。

ここ最近の私のテーマは

自分の抱えた恐怖や不安とどう向き合うか。

ということが、心にあります。

恐怖と不安は生き物としての大切な本能なのでしょうが、それにコントロールされてしまうと、今を生きるのが苦しくなります。

体調を崩して、深い恐怖と不安と向き合った時期に、自然の生き物を見て、たくさん考えさせてもらいました。

どんなに辛くても私は、いま、生きることを選択しているのだから、どんな気持ちで生きていたいかをとても考えていました。

恐怖と不安とどう向き合っていくかは、ずっと抱えていく私のテーマなのだと思います。

まだ雪深いけれど、日差しは春。
今年はどんな春が待っているのでしょう。

いろんなことが散らかってる文章となりましたが、今日は散らかしたままでおしまいにします。すみません。

動物たちから学び、私も彼らを排除することを極力避け、持ちつ持たれついることで、きっと私は生かされているのでしょう。

色々あるこの世界で、希望をもちながら、時折やってくる苛立ちにコントロールされないように生きていけたらいいな、そのヒントも自然の中にあるのかもしれないな、と思う今日この頃。

今日も一生懸命生きていこう。

そう思わさります。

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2019年8月21日

山で暮らしていると、暮らし自体が学びになります。そんな、暮らしと学びが一体化した「遊暮働学(ゆうぼどうがく)」のライフスタイルで生きています。遊暮働学の実現方法については、無料のメール講座でお伝えしていますので、興味のある方は、下のフォームからお読みください。メールアドレスだけで、お読みいただけますよ。

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