子どもと自然を観察するという学び方

こんにちは。
嫁のSaeです。

我が家は自然のそばで暮らすようになって沢山の感動に出会いました。
心震える、って言葉がすっと口から出てくる、そんな中に身を置かせてもらっています。
そんな感動をここにも表現してみようかな、今回はそんな思いで書いています。
今日もまた、よろしかったらお付き合いくださいませ。

カエルの卵、セミの幼虫、ヘビ・サンショウウオ等の写真が出てきます。
生き物の写真が苦手な方は、この記事はスルーされた方がいいかもしれません💦

1.自然の中で暮らす

山で暮らすようになり、私はたくさんの「命の輝きに触れる瞬間」に出会う機会をいただきました。

もともとアウトドアすらそんなにしたことのなかった私でしたから、虫にさほど興味を持つこともなく大人になっていたですね。

でもね、ここにいると日々、本当にたくさんの生まれ出る瞬間と死にゆく瞬間に出会うんです。
真冬の雪の上を好んで出てくる虫もいます。
どこで卵がかえり、何を食べて育っていくのかもまだ知りませんが、この厳しい冬を生き抜いていくのです。
夏の命が賑やかな森と正反対の静かな冬。
木々も静かに佇み、冬芽に霜がふる。

そんな日々を過ごしていると大自然に興味が湧いてくるんです。
自然ってすごいですね。

自然の中で遊んだことのなかった私ですから、子供たちに冬遊びの楽しさを教えることはできませんが、私はいつの間にやら、「観察の好きな人」になっておりました。
ここで、観察することで見えてくる自然のすごさをかんじ、たくさんの感動と学びを身体が求めるんです。

自然を観察する。
そうして見えてくるもので心がうごき、私はここでどんな風に生きて行きたいかも日々考えています。

「観察をする」ということが気づかせてくれたことはとても大きくて、私は今あらためて「家族一人一人の今の姿を観察していくこと」の大切さを感じています。
それを怠ると、私の中で甘えが出てきてしまい、「自分ばかりがあなたのためにしている」とか、「自分の中での正しさを主張して口うるさくなる」という傲慢さが顔を出します。

家族一人一人がどんな思いで、家族関係を築こうとしているのか、どんな風に世の中と向き合っているのか、自分自身と向き合っているのか、をできる限り感じる努力をして行きたいと思っています。
あなたが私を思ってくれていることをしっかり自分の心に刻んでいく努力をし続けることで、家族一人一人の生き方の邪魔をせずに済んだらいいな、と、思いながら精進している日々です。

2.命の輝きに触れる

命の輝きの瞬間。
雪が溶けると一斉に雪解け水が流れ出します。
そしてそこから苔が顔を出し始めるのです。
その年、1番の緑。
黄色よりの緑から若葉色になり、やがて新緑が一斉に広がる時期がやってきます。

その直前くらいから、エゾアカガエルやサンショウウオが卵を産み始めるのです。
生まれたての卵は綺麗に済んだぷりっぷりの、まるでタピオカのような弾力性のある卵。
気持ち悪いって昔は思っておりましたが、今はそれが申し訳なく思ってるくらい、美しい輝きだと思っています。
生みたてのカエルの卵ほど美しい宝石はないかもしれません。
本当にきらきらと光を反射しているんです。

2日ほど経つ頃には水分を含んでこれほどの弾力はなくなります。
そしてね、細胞分裂を始めるのです。
宝石に包まれた核がまずは4つに分裂をしているのが本当に目に見えるのです。
そしてね、生命の歴史をたどって進化して行きます。
人の赤ちゃんの胎芽と呼ばれるお魚の姿になるんです。

この頃になると私は毎年この姿に心震えながら、子どもたちについ話してしまいます。
あー、こうしてお腹の中にいたんだね。すごいね、こうして自分の力で成長を始めていたんだね、と。
流産してしまったことも思い出します。
生き物はもうここで生を持っているんですよね。一つの動き始めた命が、死にむかっていったそのことも思い出します。

頭と尻尾ができ、ヒレができる。
見た目には形しか変わらないけれど、小さな5ミリほどの身体の内部ではたくさんの進化を遂げ、臓器を作り上げているんですよね。
その想像をしながら思いを馳せます。
そしてね、ひと月ほど経ったある日、オタマジャクシの形までたどり着いたこの個体が、小さなプルプルの卵に覆われたその中でくるくる泳ぎ始めるのです。
たった2日だけみれる神秘の瞬間。

ほぼ毎日水路に行って観察して、この瞬間に出会うとこどもたちを大声で呼びに行きます。
小さな命が卵の中でクルクルと回ってる。
もうこの感動はたまりません。
ここまできたね!
子どもたちと毎年口にする言葉です。

そうして2日ほど経つと、卵を破って出てくるのです。
卵を破って出てきたオタマジャクシはしばらく葉っぱの上でお休みです。
生まれてくるってすごいと、理屈抜きで思います。
卵の中で大きくなった奇跡、生まれてくる奇跡。
だから生きていくことも奇跡です。

それと同時に死にゆく命もあります。
時折雪解け水がさほどたまらない水たまりに卵を生んでしまうことがあるのです。
ある時、水が日に日に減ってしまう場所を子どもたちが発見し、何やら2人で相談し、いろいろ考え尽くしてホースをつなぎ水を入れてあげていました。

でもね、毎日あげても水が吸収されていってしまうのです。
為すすべがない、自然を相手にはどうすることもできない自分たちの小ささを感じます。
そのまま干からびてたくさんの卵が大地にかえっていきました。

3.セミの羽化

死んでしまうことと隣り合わせの、生まれてくることの奇跡。
去年の夏、キャンプに行った先で、セミの羽化にも二晩も出会うことができました。
生まれて初めてのこんな神秘にも触れました。

セミってね、殻を破った時って、好きとおった緑色を中心に赤や黄色、茶色のなんとも言えない輝きを身体にまとって生まれてくるんです。
息を飲むってまさしくこういうこと。
自然界は自分の目を向けようとすれば、こんな光景を見せてくれます。

あんな美しい「色」は人の作り出す色からはけして見れないかもしれません。
その儚い色は刻一刻と輝きを変え、小さくしぼんだ羽はピシッと、大きく乾いて広がっていくんです。
7年という月日を土の中で過ごした幼体は羽化をすると決め日のゆうがた、木の根元の顔を出します。
セミの抜け殻とは全く違う生きている幼体が木を登り、羽を乾かす場所を見つけます。

その時、1人の男の子がそのセミにぶつかってしまったことがありました。
殻から出てきた時、他のセミとは(この時5匹も地面からはいだしていたんです。)様子が違って目に傷があり、しばらくして殻ごと姿を消していました。
自然淘汰、もしかしたら柔らかな身体を持ったこの子は他の生き物の餌のなってしまったのかな、ってこの時の仲間と話しながら見えない答えを想像していました。

この5匹の羽化をみたとき、私たちは全員、みんなが生まれてくることをにワクワクし、元気にとびたつことを祈りました。
けれども、「生まれてこれない命もある。」ということをこうして感じたのです。
みんなでその現実にいろんな気持ちを味わった瞬間でした。

殻から全身出てくると、今度は羽を広げて行きます。
本当にくちゃくちゃとガムの包み紙のように丸まったハネがそれはそれはきれいに、ビシッと広がっていくのです。
それと同時に葉脈のようなハネの模様がはっきりとしてきます。
ここにくるまで嫌だったあのハネの模様。
けれどもここでもまた透き通った黄緑色を始め、虹色に輝いているのを見て、やっぱり、気持ち悪いと思っていた自分を思い出し申し訳なく思いました。

本当に神秘。
生まれてくるってすごいです。
私が、もし、これから子どもに関わる何かのお仕事をすることがあれば、1番に私は我が子と同じようにこれを子どもたちと見たいです。

命が生まれ出る、そのワクワクを一緒に味わいたい。
そうしてその中で伝えたいんです。
生まれてくることは奇跡で尊いことなのだと。
私の命も、あなたの命も、一緒にいる仲間の命も尊いものなんだよ、と。
あなたがいることがかけがえのないこと、それを前提に生きていってくれたら私は嬉しいと。

4.それと同時にもう一つ伝えたいです。

いろんな事情を抱えて人は生まれ育ってきますが、虫たちと同じように、人も、自分で切り開いていく力もそれぞれに持ってるんだよ、って。

生まれてくるワクワクを感じることができたら、性教育と言われる分野の話も自然に言葉になっていきます。
虫が子孫を残すように、全ては「自然の営み」であると大人は静かに、逃げずに伝えることができるとおもうのです。

そうして自分が幸せに行きていくためにも、親としてこんな風にお腹にいる我が子の姿を思い描きワクワクしながら赤ちゃんを待てたらいいよね、ということも感じてもらいたい。
頭で想像するより、こうして目で見て、心で感じたことの方がずっと想像しやすいし、楽しいと思うのです。
そうして、どんな時に赤ちゃんを迎えたらいいかを考えてもらったら、これからの自分たちの行為につながっていくだろうな、とやんわりとおもいます。

自然はすごいです。
こうして心震わせ、身体で考える能力を養ってくれます。

アオダイショウを追いかけるムスコ

山にいるといろんな形で生と死に出会います。

我が家の子供達はいつころからか、虫をカゴに入れなくなりました。
もし、日差しが変わって置いておいたカゴの直射日光が当たってしまったら死んでしまうかもしれない。
カゴに入れたまま忘れてしまったら弱ってしまうかもしれない。

傷がついた虫は自然界では生きていけないということも目の当たりにして知っています。

ムスコはもちろん、カゴに入れてかっていた時期もありました。けれどもそれが弱ったり、死んでしまったことが何度もあったんですね。
弱った個体を山に返す、自分ちの庭ですから、動けない姿をずっと見て心配することになるんです。
取り返しのつかないことをした、そう、なんとも言えない表情で、ごめんねと謝っていたムスコの顔を私は今でも思い出します。
それを数回経験し、飛んでくるクワガタは嬉しいけど、網で捕まえていいものかどうかも迷うようになりました。ハネをきずつけてしまうことがあるから。

ムスメはもともとカゴに入れない人でしたが、蝶々が好きで、五歳の頃、カゴに入れて帰ってきたことがありました。
羽を直してまた自然に返してあげるんだ!そういってシロップを作ってお世話を始めましたが、日に日に弱り、とうとう羽も取れて小さく呼吸をしながらたおれてしまったんですね。
その日はいつもより目をかけてあげられなかったというムスメ。
その日の彼女はおやつ作りに忙しかったんです。
一晩中、おやつ作りなんかしていた自分がいけなかった。蝶々ちゃんを山に返してあげるという約束を守れなかったことをせめ、なきながら眠りにつきました。

自分にはどうしようもならないことがある。だからカゴに入れない。
それが彼らが決めた生き物の接し方のようでした。
蛇も虫もカナヘビもサンショウウオも遊びに来ます。
好きなので触らせてもらうんです。でも決して蓋のあるバケツにはいれません。捕まえる時もがむしゃらに網を振り回したりしません。
そうして植木鉢やバケツに入れて一緒に遊んでもらいます。彼らと出会ったのもここですから、蓋を開けておけばいつでも帰れる、それを前提に彼らは友達である虫と接しています。

5.カナヘビの卵にもであいます。生まれたばかりの小さな身体にも。

サンショウウオにもわずかですが出会います。
あんなに卵を産むのに成体になるのはごくごくわずかです。
それもこうしてここにいると見て感じることができます。

生まれ出ると懸命に生きて命を次世代につなぎ、大地に帰っていく、そんな流れが数年自然の中で暮らしていると見えてきます。
自分ばかりがいいようにできないのがここでの生きかたで、クマを呼ばないように私たちもうちの周りに大好きな果物やトウモロコシは植えることはできません。
他の野生動物と同じように、自分たちの身を守る術と、他の生き物のテリトリーを侵さないという配慮を必要としながら暮らしています。
でもこれってとっても大切なことなんですね。

それを一つずつ知っていく暮らしが私たちの暮らしです。
暮らしの中で自分で経験して何が今必要な感覚なのかを確かめながら暮らしています。
それぞれの家族で必要な物も、必要な感動も違うんだろうな、と思います。
私たち家族が大事にしたいことはなんだろう、それを考えるヒントを自然から頂いて今があります。

6.命の輝きに触れる

お母さんにさせてもらった私が今、大事にしたいことの一つです。未来につないでいきたい感覚のうちの一つです。
命の輝きを見つけた瞬間、私は全ての予定を後回しにしてみいってしまいます。

学校では机上や言葉で教えざるを得ないことも多々あると思います。
お家にいてもゲームの方が楽しい時代ではあると思います。

でもね、興味を持つこと、学ぶことは心が動くことでワクワクに変わるんです。

大人も子どもも、日々に小さなたくさんのワクワクを。

沢山の感動をしながらいきていきたいと私は思います。
そしてそれを未来を生きていく子どもたちにも伝えていけたらいいなと感じています。
私にとって命の輝きに触れる瞬間は生きる原動力です。

これからも沢山の感動をしながらいきていこう、日々をワクワクしながら。
そう思います。

最後の大寒の日にみたこれまた心震える美しさを。
冬芽の枝についた氷に結晶。
ただただ美しいですね。
世界は私が知らないことだらけのことがまだいっぱいあります。それにまたワクワクする気持ちをこうしてもらいます。

子どもたちと心震える時間をたくさん味わっていきたいな。

今日もお付き合いありがとうございました

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