こんにちは、嫁のさえです。
1.竹は日本の素晴らしい資源であり文化だった。
久々に籠を編みました。
タイの暮らしをする時に籠を編めるように、日本でも練習しておきたくて、買っておいたクラフトバンド。
ここ北海道は内地のように竹がガンガン生えてくる環境にはありません。
竹は本当に多様な道具になってくれる豊かな資源だと感じています。
筍は食せるし、竹は家の資材からカトラリーにまで生かすことができるうえ、どんどん生えてきてくれる素晴らしいものである反面、そうであるが故の手入れがとても大変だと知ったのは一年前。
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朽ちて倒れた竹が行く手を阻み、荒れるほどに手入れができなくなり、どうしようもない状態で広がっていきます。
こんな現実を目の当たりにするたびに、
どれも「良いことばかりでも、悪いことばかりでも」ないんだなあってしみじみと思います。
余談ですがこちらは山岳地帯での暮らし。
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山岳地帯では家の床や屋根、梁に使ったり、
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桟橋にしたり、
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カトラリーにしたり、
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カオニャオ(ご飯)を炊いたりしてました。
さてさて、そんな竹資源ですが、北海道は熊笹がほとんど、根曲がり竹だけですら、結構貴重です。
寒さの関係で内地のような大きな竹は育つことができないので存在しません。
根曲がり竹でヒゴを作ることができるそうですが、車を運転しない私には採取に行く方が難しいので、ずっとクラフトテープで練習してきました。
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娘2歳、息子6歳の歳から5年の歳月をかけて、その土地の人々の暮らしを見て、感じて、一緒に作り上げて、自分の身体に染み込ませてきたこの知恵を、ちゃんと育てたくて、いつ、山岳地帯の暮らしに帰ってもいいように今日もまた少しずつ積み重ねています。
ここでの暮らしで染み付いた生きていくための大切な知恵。
まずは自分の力で家を直すこと。
そして服を作ること。
作物を育て保存すること。
かごあみは暮らしを良くするための知恵の一つです。
竹ではなく、クラフトテープではありますが、自分のできる方法で、かれこれ5年、色々トライしてそれなりに、手足の感覚を育てました。
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こんなにも足の指を道具として使うことってあまりないなあって思います。
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頭で思うのと身体に身に付いていることの違いにハッとします。
もうできないって思っていたのに、編み始めたら手足がすいすい動いていきます。
今の世には便利な道具が溢れるほどあるけれど、一番豊かな道具は自分の身体についていたんだと、久々のカゴ編みをしながら昨日ハッとし、それを残したくて、言葉にしています。
4本の手足がある。
考えられる頭があり、知恵を育てられる。
行動に変えていける身体がある。
私たちの日々は、毎日、ただただ恩恵に溢れているのだと、自然の中での暮らしと、私の身体が抱えた不調が教えてくれています。
ゆるくないこともやってくる日々の中で、私を支えてくれているのは、家族の存在と、「私のため」に絶え間なく注がれている恩恵なのだろうと思います。
コンテナ暮らしはものを整理してミニマムでないと暮らせません。
カゴ編みを用のバンドを手放そうと思い、最後に必要に迫られた籠を編んでみたら、手足が勝手にすいすい編み始めてくれました。
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私に与えられた知恵を大切にしたい。
そう思ったので手放すのはやめようと思います。
その代わりにもう少ししっかり知恵を育ててみよう。
かごの次はザルを編みますよ。
思いのほか、しっかりしていて使いやすいのです。
2.自分を信じる力
家族で山岳地帯に身を置いた時間。
山岳地帯の人の精神がちゃんと自分の中に染み付いていたんだとこうして気付かさる。
積み重ねって大事ですね。
そうしてこうして自分の力で黙々と何かをすることで見えてくる自分の姿があります。
自分のことって一番わかりづらいですから大事な瞑想の時間なのかもしれません、笑。
私が自分に蓄えたいのは先人の知恵。
現代の力ではどうしようもないこともあるのが現実。
今ある恩恵に感謝しながら、自然の中から知恵をいただいていた先人の知恵もこうして自分の中に残していたいと思う。
80歳を過ぎた人の知恵が目の前で消えて行こうとしているのを見ていられなくって。。
ホテルに泊まったり、帰省したりして普通の一軒家に身を置き、便利に触れてはありがたいなあってしみじみと思います。
でもまた不便に戻って改めて思うことがあります。
不便であることって希望だなあって。
その中で生き抜いていくためにいついた知恵は、自分の日々を助けてくれる知恵に変わります。そして、その知恵は毎日毎日育ってゆく。
私には便利をポンポン生み出すことはできないけれど、不便さの中を生きていく知恵をつけていくことができる。
そうして自分に知恵がついていく安心感が積み重なっていくことがわかるんです。
その積み重ねは
今の自分を受け入れ、これから変わっていく自分を想像できる力
をつけてくれます。
そう、未熟さを受け入れ、自分を信じて待つ力。
そんなこともこの暮らしで感じています。
誰かに褒めてもらう必要はなく、自分の力で自分を認めていく揺るぎない安心感。
それが暮らしを作っていくということだと最近やっと気づき始めました。
今日もお付き合いいただきありがとうございました😉
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最後に、かごの完成写真を。
思った以上の出来になりましたー。
一年前に納得のできにならないなあって思ってたその感覚が未だ残っていたけれど、久々にやってみたら、自分ができていることの方が目に入りました。
私自身の視点も変化しているのでしょうね。
人って自分の変化の過程にはなかなか気づけなくて、成長した後、ふと、成長したんだなあって気づくものなんですね。
「ああ、分かった!」って頭でわかったつもりでも、分かっていないことって実はすごく多いことに気づいた数年前。
本当に変化した時って、それよりずっと後にふと、「あれ?変わったなあ。」って思うものなんですね。
成長していく自分を待つ、って感覚を身につけました。
成長していけるって愉しいことですね。
暮らし。それ自体が、遊びでもあり、仕事でもあり、学びでもある。だから究極、暮らしていれば暮らしが回る。そんな「遊暮働学(ゆうぼどうがく)」のライフスタイルで生きています。遊暮働学の実現方法については、無料のメール講座で考え方をお伝えしています。興味のある方は、下のフォームからご登録ください。メールアドレスだけでもお読みいただけますよ。