「ちゃんと頭が悪くなる」!?

草取りとかの単純な農作業を続けていると、瞑想効果があるのか、
普段は考えないようなことを深く考えてしまうことがよくあります。
この時は、一風変わった池の掃除をしながら、
ちゃんと頭が悪い人になろう、なんてことを考えていました。
今回は2016年1月、タイのジャングル暮らしのある一日です。

理論と感覚

最近寒くて寝坊してしまう。
寒いとよく寝る、それが自然のリズムなのかな。
6時半起床で今日がスタート。

朝食後の仕事は、昨日に引き続いてバンブーロープ(竹から作るひも)作り、
をしていたら、村長さんからの次なる指令が。
サハイナンにある池をきれいにしてほしいと。
やり方は、バナナEMとカオプーをミックスして池に撒きまくってほしいと。
バナナEMとは、これ。
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バナナの皮とか、マンゴーの皮、パパイヤの皮など、甘い果物を入れて発酵させたもの。
EMっていうのは、Effective Microorganismsの略で、有用な微生物のこと。
普段はこれを水で薄めて、液体肥料としてガーデンに撒いている。

カオプーとは、牛のふんのこと。

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写真で見ると、土のように見えますね。
でもフンのような感触があります。
たい肥用に、ちゃんと時間をかけて発酵させているためなのか、全くくさくはない。
これらをバケツに半分ずつ入れたものを、池を一周しながら、カップですくって池に投げ込む。

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ひと昔前は、EMもカオプーも、汚いと思って気持ち悪くて触れなかった。
だけど、途中でEMをすくっていたカップも一緒に池に投げ込んでしまい、
最後の方は素手でそれらを撒いていた。
EMやカオプーに住む微生物の力で、池の汚れをきれいにするという。

これもひと昔前は、どういうメカニズムできれいにするの?
微生物が汚れを分解できるという、客観的な実験結果はあるの?
その実験はどのように行われたもので、どの程度の信ぴょう性があるものなの?
そうでなきゃ、それはホントかどうか、わからないよねー。
と言っていただろう。
だっておれも、研究者の端くれだから。

だけど今ならわかる。
感覚的に。
ずっと考えていたことだけど、感覚というのは、すべてを包括的に判断できる
メリットがある反面、人に説明しにくく伝えにくいデメリットがある。
理論はその反対で、部分的には完璧に正しい答を出すことができて
わかりやすく伝えやすい反面、わかりにくい部分をある程度無視して考えざるをえない。

理論的には安全でも事故が起こってしまうのは、
その理論では扱うのが難しい部分でミスが起こるためだと思っている。
女性は感覚的で、男性は論理的だと一般に言われる。
これらのことから、自分は、大きなことを判断する際には
女性の感覚的な考えを取り入れるように努めている。
そして、自分の感覚や直感も、今後の人生で磨き続けていきたいと思っている。
理論がダメで感覚がよいわけでも、理論が良くて感覚がダメなわけでもない。
双方にメリットデメリットがあり、お互いのよい部分を生かしていく、
ハイブリッドな考え方がよいと思う。

自分の研究は、これまで理論のみに偏っていたものから、今は感覚を取り入れつつある。
というか、感覚の割合がかなり多くなってきた。
だけど自分は研究者でありたいから、このサハイナンライフという研究結果をやっぱり発表したい。
大学のゼミで仮にこれを発表したらどうなるかな。
おもしろいけど、そのデータの客観性は?てことになるかな、やっぱり。
まあでも、世の中、こんな(研究としては)よくわからない研究があってもいいかなとも思う。
研究は本来、追求したいことを追求するものだし。

そんなことを考えながら、池の周りを回ってカオプーEMを撒き続ける。
自分のペースでできる、手仕事っていいなと思う。
日本で通っていたエコビレッジ体験塾のIさんが言っていた。
手仕事カフェを作りたいと。
手仕事とは、豆の殻むきとか、編み物とか、そういう単純な作業が長時間続くお仕事。
バンブーロープ作りやカオプーEM撒きも、その一種。
やり続けていると、なぜだか瞑想状態になり、深いことを考えられたり、自然と会話が深くなっていく。
Iさんは、そんなことを意図的にできるカフェ、手仕事カフェを作りたいと言っていた。
おもしろいなー。
作ってくれたら入り浸りたい。
今回も、というかここも来ていろいろなことを考えられるのも、
環境の変化に加えて手仕事をさせてもらっているからだと思う。

さて今日のお昼ご飯は、街に出かけた人が多くて少人数ということで、天ぷらを作ってくれた。
まいうー。
揚げたての天ぷらは、揚げるたびに一瞬で消えていくのでした。
妻ちゃん、サンキュー。

水道管修理、接着剤で外れない部分を削り落とす!?

さて午後の仕事。
家の近くの水道管が、最近じんわりと濡れている。
直したいとは思いつつ、なかなか時間が取れなかったけれど、
これまた村長さんの指令が来たので直すことに。
もう水道管の直し方はわかったので、そんなに問題はない。
だけど必要な部品、T型コネクタがない。
いろいろ探していたら、使い古しが見つかった。
でもコネクタの内側に、以前使っていた水道パイプが接着剤でくっついているため、それは使えない。

と思ったらまた、村長さんのニヤリが。
「これ使えるの?」と聞いてみると、得意げな笑みが。
なんと、内側に接着剤でくっついている古いパイプを小さいノコで削り落とせば、
またそのコネクタを使うことができるのだという。
サンドットさん、ちょっとだけ見本を見せてくれて、
あとは「はい、がんばって」と渡してくれた。

はっきり言ってその部品は安くて、買ったほうが早い。
だけどものづくり大国日本ならぬ、もの直し大国タイの精神を学ぶ絶好の機会と思い、
ひたすら削り続けて夕食までの2時間、T型コネクタの3つあるうちの、半分だけ、削ることができた。
明日も引き続き、削らなきゃ。

ちゃんと頭が悪くなる!?

そういえば、カオプー撒き撒き中に考えたこと、その2。
高校の国語の教科書だったかな。
ある一節がすごく心に残っている。
こんな感じだったと思う。

「科学者は、頭が良くなくてはならない。
 これは、自明の理であろう。
 しかし同時に、科学者は、頭が悪くなくてはならない。
 何も私は、逆説を弄したいわけではない。…」

筆者は、頭が良すぎて先が見えすぎる人は、
なんでもやる前に見通しが立ちすぎることがある。
時には失敗するとわかっていることでも、
本当に失敗するかどうかを確かめるような勢いで、
愚直に実験を繰り返すことでわかる真実があるし、
失敗の中から意外な新事実がわかることがある、て話だった。

あらためて調べてみると、「科学者とあたま」寺田寅彦著、の一節のようです。

カオプーを撒きながら、この一節をふと思い出した。
科学者は、研究者と言い換えられる、つまりそれは、自分のことだと解釈している。
(パーマカルチャー研究所の研究者なので)

自分は今、しっかりと頭が悪くなれているだろうか。
そんなの無理だよと言って、やる前から諦めていないだろうか。
少なくとも、水道管破裂事件の時に、水道管をゴムチューブで
応急処置しようとした人を見たときは、そんなの無理だろうと、心の中で決めつけていた。

竹で支柱を作成

タイ暮らし2015 ひびの入った水道管を、〇〇で直しちゃうカンボジア人

2018年6月16日

最近は、その反省から、なるべくなんでもちゃんと自分で経験をするように心がけている。
見ただけでわかった気になり、いざやろうとするとできない。
ここではそんなことがしょっちゅう起こる。
だから残された期間、ゆっくりでいいから、色々な経験をできるように生活していきたいと思う。

タイのジャングルライフ、残り12日。

(この記事は、2016年1月4日のブログを再編集したものです。)

タイの子どもたち

自己肯定感が高そうなタイの子どもたち

2018年7月11日
タイの小屋

ノウハウが個人にあるタイ、企業にある日本

2018年7月7日

文中にもありますが、タイの人たちは、ものを直して使うことが
日常のようで、何でも直して使ってしまうタイ人は、とてもかっこよく見えました。
そうやって買う以外の選択肢を持つことで、自立的に暮らしを作っていくことができるのでしょう。
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