■目次
1.薪ストーブ暮らしのリアル
こんにちは。
嫁のSaeです。
今年は薪ストーブに自分たちで割った薪を使っています。
去年はほとんど廃材でしたから、その違いを五感で感じさせてもらっています。
薪ストーブ、一見ステキですが、毎週の煙突掃除、溜まった灰出し、山の暮らしですから生き物は私たちだけではなく、クモも住み着いてるので、すすわたりがバッチリ出ます。
それと薪足し。
これも結構手間がかかりますね、笑。
手仕事に没頭しすぎて、寒くなって火が消えてることに気づくことも度々です、笑。
やっぱり灯油は便利で手間なし簡単、笑。
でもね、私たちは火を眺めるのが好きなので、トータルで楽しいです。
子どもたちも火をいじっていろんなことを感じてるようです。
そしてね、今年は素敵なことに気がつきました。
燃やす薪の種類によって香りが違うんです。
甘い香り、懐かしい香り、あったかい香り。
うーん、もうアロマはいらないかもなあってくらいの香りが広がっていきます。
アナログな暮らしは不便だなあって思いを捨て去っちゃえば、ワクワクです。
これの先に何を感じ、気づいていくんだろうって視点を持ったら、たくさんのことにワクワクできるんだって気づいちゃったんですね。
寒いこと、カエルの声がうるさいこと、買い物にすぐにいけないこと、(クマが来るから)自分の植えたい野菜がなんでも植えられえるわけではないことなどの一見マイナスに思われることも自分の生きていく糧になっていきます。
そしてね、このストーブの灰は冬の終わりに近づく頃からためていき、畑にまく肥料になっていきます。
この循環が嬉しくてね、昔の暮らし大好きなんです。
2.タイのジャングルでは「モノがない」ことが当たり前だった
さてさて本日はライフラインのないジャングルと、車を運転できない私が気づいた、
「ないことを前提に暮らす」っていうお話をシェアさせていただこうかな、って思います。
わたしたちの時代背景を振り返ってみると、次々と便利なものの恩恵を受けて生きてきた世代ですよね。
だからわたしたちの価値観って、あることが当たり前になっていて、みんな同じようなものを持って暮らすのもなんとなく当たり前だったように思うんです。
だからモノはあるのが当たり前になっていて、エコにしたいと思った時もそのレベルをさほど変えずに代わりのものを探していくっていう方向にいくことが多いなと最近ふと思ったんですよね。
例えばラップ。
脱プラ目指してミツロウラップって流れ、私も数年前に経験しました。
我が家は氷点下になる関係でミツロウラップも使えないので、結局は使わなくなって行きましたが、笑。
そういう自身の経験もあってふと気づいたんですが、それって石油製品は避けれても、今度はハチの暮らしに手を出すよね?って思ったんです。
いろんな代わりのものを私たちは求め、生み出してるんじゃないかって視点に立ったんです。
ミツロウラップに変えたその行動が、自分たちの環境や暮らしに興味を持つきっかけになることもあると思います。
それに人それぞれ意味が違いますから、いい悪いではないんです。
例えとして使わせてもらっています。
でもね、ライフラインのない村で暮らして、日本に帰って気付かされたことが大きくて、私にとっての価値観が変わりました。
あちらの村はどこのおうちの暮らしにも最低限と思われるものしかなかったんです。
マットレス、カヤ、テレビ、ろうそく、衣服、電気、調理道具(冷蔵庫はある家とない家と)、食器。
うちの中はガラガラ。
バックパック一人一つで旅にでる我が家ですが、そんな私たちとみんなの暮らしがほぼ変わらないんですね。
「ないことが前提」の彼らは、自然の中からたくさんのモノを生み出します。
竹の食器、カトラリー、ココナッツの殻のボウル。
畑仕事の後の夕飯はそこいらにある竹とバナナの葉っぱでなんでも作ってそのままポイ。
荷物にもならなければゴミにもならない。
竹で編んだカゴやざるも重宝します。
竹と木材だけで建てたお家(釘は使ってますが)。
布一枚でおんぶひもをつくります。
子どもたちのおもちゃは自然です。
小さな子は水と戯れ(もちろん大きい子もすき)、大きくなると自分で魚とって、自分で作った基地で魚をさばいて。
食べ物は畑とジャングルから。
もちろん市場もあります。
でも大きな市場は週に一回だから基本的には生み出すんです。
3.我が家にこんなにモノは必要?
何度かここを訪れては帰国する、私はそれを繰り返してうちに帰った時、ふと思ったんです。
我が家にこんなに物は必要なんだろうか?って。
たくさんの情報や美味しそうな写真に刺激され、手に入れた物たちは次から次へと興味がうつって、気に入って買ったものが今でも使われてるか、っていうとそうでないことも多い。
家の一部は物置と化してる、笑。
一生懸命働いて得たお金で買ったもの、仕事に費やした精神力や時間と自分の幸せ感を比較している私がいました。
私はこれを得てどれだけ満足感したんだろう。
自分に「本当に」必要なものは何で、どれくらいの量なんだろう。
「本当に」好きだって思って買ったんだろうか。
そして、もしもそこにお金を注がず、仕事の時間を減らして、本当にしたいことに向かってお金を使っていたらどんな人生だったんだろう、って思ったんですね。
わたしたちの世代はたくさんの豊かなものに囲まれて、どんどん便利になっていった時代だったから、みんなと同じような物を持つことが「当たり前」だったけど、それって本当に当たり前なの?って思ったんです。
そうして、その当たり前は今の私の取って幸せを感じられているのかも考えました。
4.環境問題と当たり前の暮らし
環境問題はきっと、そんな当たり前の暮らしから生まれたことです。
次々と進化していくように感じていた時代ですから、人はそれに夢を持った。
だから買い集めていくのが習慣になった。
私と同じように、未来がよくあるよう、ご先祖様も祈っていたんだと思うんです。
それはとてもありがたいことで。
でもここまできてみたら、環境が壊れ始めてた。
それだけのごく自然な流れで今があると思うんですよね。
でも「環境が壊れ始めてる」と感じた私は、みんなと同じように物を持って暮らすことにちょっと違和感を持ったんです。
こんな当たり前を手放したら、少しは環境を壊すことを止められる?って夢を今、私は持ってるわけなんです、笑。
ないことが前提の暮らしをしてる人たちは、自分で生み出すことが当たり前です。
けれども、あることが当たり前の暮らし方をしてきた私は代わりのものを探し、自分にとっての快適性を落とさない暮らしをしようとしていたな、ってちょっと思うんです。
快適であることが悪いのではなく、そうである必要はあるのかな?ということも自問し始めた。
そんな問いを自分に投げかけながら暮らしてるので、生み出してみようという感覚が少しずつ根付いてきた今日この頃。
5.プラごみ再利用で脱ラップ
それでも暮らしてるのは日本ですから、今必要だと自分が判断するものもあります。
ラップを使わない分、お皿をひっくり返して蓋にしたり、タッパーを使ったり、Yukiが出張に行くときは彼の希望に合わせておむすびを作ります。
できるときは熊笹で包むけどできないときはあるものを駆使します。
いくら避けても、ばあちゃんからおやつが送られてきたり、海苔を食べたりすると出るプラ袋。
私はこれをとっておいて(綺麗に保存できる乾物を使うことが多いです)、おむすびを包み、その上から新聞紙をくるくると巻きつけます。
どちらにしろ、プラゴミになるものです。必要なときはそうして使っています。
お皿も最低限しか持っていません。
素敵にしたければ季節のお花を添えたらいい。
大根やトマトのお花を添えても可愛いしもみじもいい。
6.モノが壊れたときは…
壊れたらできるだけ、直します。
テープカッターのテープをかけるとこの爪が折れたときは、電動ドリルで穴開けてつまようじ刺せばオッケー。
電動ドリルは我が家になくてなならない、生み出すための大切な道具です。
それでも直らなければ使えるまで使います。
凍結で自動給水じゃなくなった洗濯機もそれから2年、タイマーくっつけて手動給水で使いましたし、ガスボンベを引いてない我が家のコンロのエース、80歳になる五郎さんから譲りうけた灯油コンロも、レバーをひねっても点火をしなくなったので、毎回ライターで着火しています。
それでも使えるしね、そう思ったら、不便でも使えちゃうんです。
不便を不便と思うか、楽しめるかは自分の心持ち次第だと知りました。
今の私は不便は日々を面白くするって思ってます。
どうしたらこの問題がクリアできるかなーってゲーム、笑。
なにかが欲しいと思ったとき、それは本当に必要か考える。
そして少しでも躊躇したならば、今はいいかなーって思ってるうちに、自分で新しいものを手に入れなくてもいいアイデアが浮かんじゃう事も多くて、すごく面白いなって思うんです。
(だから私はあまり買い物リスト作っておきません。忘れるような物は対して必要じゃないって自分にいう、笑。そうしたら、頭で考えなくても答えが出てくるから結局のところ楽なんです、笑)
実際に忘れちゃう事の方がおおくて、たくさんの必要のないものを体感として知りました。
その分家が狭くなりませんし片付けもいらない、笑。
新しいものを手に入れなければゴミも減ります。
それが気持ちいいのを知ってるから、できる限りそれをしたいとも思う。
結果、地球環境のためというか自分のためなんだな。と思います。
それとね、もう一つ。
「ないことを前提に考える」という習慣は、自分に知恵がつく、というお楽しみをくれます。
しょっちゅうこんなことを考えてると、それが習慣になってきて、災害時にも役に立った経験がありまして。
いざとう時の不安は、いつものようになんでもすぐに頼れないから不安になるんだと思うんです。
「自分の知恵があることで、解決できる。」その力は、いざという時の不安を減らしてくれるんですよね。
日本にいても、たくさんのものを直していく五郎さんがそばに住んでいて、私たちにたくさんの学びをくれます。
いろんな経験を積んできた五郎師匠は、たくさんのことを「潔く」捉えて行動します。
その背中を毎日見せてもらってる私たち、本当に格好良くて、このご夫婦を尊敬しています。
私たちは「ないことを前提に」暮らしてます。
そうしてこれからも自分の力を育てていきたいとおもう。
自分の力を信じられるってとっても嬉しいことですから。
7.ぽぽちゃんの服を作りました!
マシュマロぽぽちゃんをお小遣いでかったムスメ。
物もお人形もとても大事にするムスメに頼まれて服を作りました。
四年前からミシンを踏み始めた私。
服は仕立てますが、型紙は起こせません。
めげそうになりながらも、何度も経験してきた「自分でやってみたことの先にある満足感」を思い描きながら、やれるとこまでやってみようと今日もまた挑戦です。
ダイレクトに新聞巻きつけてみたり、人形おいて型を取ってみたり。
お人形の服って小さくて縫うのも難しく、子どもが扱うので、脱がせやすくないと面白くないだろうともおもうし、試作してだいぶ試行錯誤しました。
そしてできたなかなか悪くない感じ。
リクエストで、スカートとオムツも仕立てました。
ズボンも欲しいと言われてまたハードル高し!ですね、笑。
でもこれができたからきっとできるはずです。
やってみようと思います。
今日もありがとうございましたー。
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遊暮働学(ゆうぼどうがく)の暮らしは、「買う暮らし」から「作る暮らし」へのシフトです。遊暮働学のライフスタイルについて学びたい方は、下のフォームから無料メルマガ講座をご登録くださいね。