札幌では、2018年9月4日から5日にかけて台風による暴風雨に襲われ、街路樹が倒れるなどの大きな被害を受けました。
でもそれだけにとどまらず、翌6日には、北海道胆振東部地震、そして直後の停電にも襲われました。
その時のことを、妻がブログに書きました。
台風一過の翌日の晩。
大きな揺れがあった。
北海道地震。東京で経験した東日本大震災を思い出す揺れだった。
揺れが止まっても体の震えが止まらない。明るくなってようやく落ち着きを取り戻した。
ちょうどこの日から3泊で東京に行く予定だったのでリュックの荷物を車に積んで万が一の準備もした。
慌ててつけた電気がしばらくしてパッと消えた。
あ、多分停電だ。そう思ったが、山暮らしを初めて、私たちは電気のない暮らしに慣れ始めていたので、いつものように太陽光の小さな卓上の明かりを灯した。
その明かりにホッとした。タイでの暮らしとこの山に移ってからの暮らし、約一年間のライフラインのない暮らしの経験で、家族全員が電気、ガスのない暮らしを知っていたので誰も慌てず、この明かりの安心感にその場で感謝をした。
これがあればまずは大丈夫。暮らすことに関する明かりはこれ一つで賄える、それを知っていたことは私たちにとって大きな支えになっている。日が登ってから明るいうちに全てを済ませる。暗くなって月明かりがこうこうとともる日はラッキー。天からのプレゼントで少し余裕が出る。
まだ暮らしが落ち着かず、トイレが別棟なので外でトイレを済ませることも多い子どもたちには、これは大きな自然エネルギーなのです。蛍雪の功、って本当にあったのだろうと思います。
小さな携帯太陽光充電機の威力がかなり発揮されています。日常では携帯しか充電できないものなのに、今は携帯が充電できるありがたさを感じます。そして小さな卓上ライトの充電もできる。旦那さんが考えてくれたこの充電グッズに頼って暮らしてます。
明かりは安心感をくれます。電池は無くなる不安がある。けれども太陽の力がある限り、毎日ではなかったとしても明かりが灯せるってすごいことだと思うのです。灯らない日は暗くなったら寝たらいい。
ライフラインのない暮らしを経験していることにより、先の見通しがたち、わずかだけど不安を減らすことができている気がしています。
明かりは一つで家族4人賄える。ろうそく使う手もあるけど、結婚式で使うようなそんなに大きなものは結構持ってないからね。
火は落ちた枝で起こせる。そうすれば鍋さえあれば料理ができる。
食べ物と水は大事にして、我が家の今のご飯は毎食雑炊です。温かいものを食べると体温が上がるからかホッとするから。
小さなこの充電器ははっきりいって電気代が減らないからあまり需要がなかった。旦那さんが接続しやすくセットにして身近な人に進めてたけど需要はかなり低かったけど、やっぱりここが始まりだなって思った。必要最低限がここにつまってる。
便利について考えるならば、必要最低限を経験してると気づきが広がる。
経験は自分自身の暮らしに浸透するから経験してみることにより、自分にとっての現実性、できることが見えてくる。
我が家な小さな電力使用節約だけど、ほんとうに必要なところに電力が渡ってくれることを祈って続けています。
やまぶどうをとりたくてきのぼりするだいちゃん。一年後にはもっとたくましくなるなあ。。
ここに来て、最寄りの学校まで、片道4キロの道のりになりました。住宅街を抜けて3キロ以上も1人の道のり、ただここ数年の変化として熊の痕跡が見られるようになったそうです。ここ数年、らしいけど、昔と比べてどんな変化があったのか、しらべてみようとおもっています。
長くなるので次回に続く。
(この記事は、2018年9月16日の妻のブログを、再編集したものです)
妻の視点から見た、地震のときの遊暮働学のライフスタイルは、こんな感じでした。
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