普通の主婦がタイのジャングルに300日滞在して分かったこと

1. Saeがジャングル暮らしに惹かれた理由

私にとってのジャングル体験を時々綴っていこうと思います。
よろしければお付き合いくださいませ🙂️

その前になぜ、私がそんな暮らしに興味を持ったか、ということについて申し上げないとですね。

1-1. 東日本大震災と原発事故

多分、きっかけは東日本大震災のとき。
今のような生活になったきっかけが、最近やっと見えるようになってきました。元々これをしたいからこうする、という流れではなく、目指していたらたどり着いた形、だったのです。

わたしは、揺れるマンションの中で一歳になったばかりの我が子とともに恐怖の時間を過ごしました。

そしてその後の原発事故。

仕事で忙しいYukiと、責任を引き受けなくてはならないという立場上、誰にも相談できず、一歳の我が子を抱えて、「これからどうしたらいいのか?」、真っ暗になったあの時期。
不安とともに、私は電気だけでなくたくさんの文明の利器にお世話になってきたけれど、この人たちは何も使っていないのに、放射能汚染を含めて、たくさんの負債を抱えて生きていかなければならない、そんな時代に生んでしまったことに対するもうしわけなさ。
母としての本能に悶々とし続けた数ヶ月。

1-2. 私は何も知らなかった…

この人たちが希望を持って生きていくためには、何がいけなかったのか、何が自分にできるのか、ずっとずっと考えていました。
そんなある日、ふっと自分の中で生まれたのが、「私はどれだけの知らない世界で生きていたのだろうか」ということでした。

この食事を作ったけれど、材料一つ一つはどこの誰が育ててくれたのか知らない。
このきている服はどこの誰が作ってくれて、どうやってここまできたのか知らない。
水は?ガスは?この家具は?
この新聞一日分を作り上げるのに、どれだけの人が動いてるのかという想像さえ、したことがない。

今思うと、自分を取り巻く一つ一つのものにストーリーがあったなんて考えたこともなかった。
オーガニック野菜の宅配を利用していたけれども、このお野菜を作ってくれた農家さんは、どんな風に暮らし、どんな思いでオーガニックを始めたのだろうかということさえも知らなかった。
街の中にあるもの一つ一つが本当は誰かが作ってくれたものであるなんて、知らなかったんですよね。
あることが当たり前すぎて、気づいていないことが多すぎるなかで生きてきたことをしりました。

そしてね、ああ、だからこんなことになってしまったのかもしれない、ってハッとしたのです。
知らないものの中で、感謝もせずに生きてきたから、何が起こるか想像する余地もなかったのかもしれないと。

自分が生きるのに必死で、自分ばかりが大変なことがおおいきがしていたけど、そうではなく、自分が何も見てこなかっただけじゃあないかと、ガツンとつきつけられたきがしたのです。

子どもたちの未来が少しでも希望に変わってほしい、その思いだけを抱えながら、私はまず、「自分がどう生かされているか知りたい。」、とはっきりと自分のやりたいことを意識し始めたのです。

1-3. ライフラインのない暮らし!?

でも何をしたらいいのかわからないまま、それから数年を過ごしました。
そして、興味を持ったのが、とある雑誌綴られた「ライフラインのない暮らしの経験」の記事。
その時は気づいていなかったけれど、母として、子どもたちの未来を願い、自分の行動を決めていこうとする土台は着実に自分の水面下で出来始めていたんですね。

じぶんのなかにわいた大きな興味に押されて、その記事を書いていた方に会いに、その村に家族で行きました。
そこでYukiも大きな衝撃を受けます。
「ああ、こんなにシンプルでも生きられるんだ。」と。

家族でともに経験するというのはとても大きなことで、それぞれの中で、なにかが育ちはじめました。
そして、少しずつ、その経験がそれぞれの中で消化されて、興味が育ち始めていたんですね。

その年は、ムスコが体調を崩して、そこの暮らしを経験せず、帰ることになりましたが、確実にわたしの方向性は、私のまだ見えていない意志に突き動かされて、数年後、そのオーナーさんの新天地で、ともに暮らすという決断にいたりました。

2. タイのジャングルでの家族長期滞在

2-1. 現地へ

私は、「シンプルな中で暮らしてみる。」ということの興味に、Yukiは、「エネルギー問題の解決したいという自分の研究」を深めに、ムスコは家族で過ごすワクワクを、ムスメはまだ想像すらできなかったと思うけど、とにかく荷物をまとめてスーツケース二つに3ヶ月分の荷物を詰めて、旅立ちました。

道中色々ありましたが、飛行機を乗り継ぎ、どんどん山奥へ入って行きました。

スーツケースを持っていった一年目。
山の道はスーツケースではどうにもなりません。
そんなことすら、想像できなかった。
自分で移動することすらままならない、抱えているものの多さを目の当たりにします。
そして思います。
私はこうしてあるのが当たり前でなんでも生きてき足し、次から次へとなにかをほしがってきた。そして自分の抱えられる量を超えたことにも気づいていなかったのかもしれない。
自分でどうにかできる、その範囲を超えた生き方をしてきたのかもしれないな、と。

そうしてついたのが、この、屋根と床だけの竹の家。
昔話のような、いや、昔話の方が立派な家じゃあないか、と思えるような家。
でも、ここがこれから3ヶ月暮らす私たちの家。
部屋の中にはマットレスと蚊帳だけ。

でもね、そんな驚きよりも、私たちは日本から数日かけて、英語も通じない奥地まで移動し、ちゃんとこのオーナーさんに出会えたことが嬉しかった。
自分の今日の寝床に無事にたどり着けたことが何よりの嬉しく、心からの安心をかんじました。

家族で超えた不安に家族全員で喜んで安堵して。
それが今の生き方につながっています。
基本は家族。
家族で思い合う豊かさを積み重ねていきたいね、といつもはなしています。

オーナーさんが満面の笑みでよくきたね、って迎えてくれて安堵したこの時、これ以上の贅沢なんてない、そう思ったんですよね。

今日安心して眠りにつける家があるって当たり前じゃない。
それを家族みんなで感じました。

2-2. ジャングル暮らしの始まり

そうしてジャングル暮らしが始まります。
沢山の衝撃がありました。
毎日三食、薪でご飯を作ること。
薪になる枝も自分たちで集めてきます。
火がなければ、生の野菜を毎日食べるしかなく、もはやそんな動物のように生きていない私は胃が痛くなります。。
北部タイの12月、気温5度まで落ちる明け方、暑いジンジャーティーで身体を温めます。
火は安心して生きるための生命線であり、神様だとおもいます。

(一人でキッチンに立つ日もあります。滞在が15人を超えるとキッチンだけでは足りず、外の火加減も調節しながら作っていきます。火のつよさだけでなく、薪が切れると消えて、料理が同じ時間に揃わないので、そのバランスを見るのが難しい。時折ヘルプしてくれるムスコはこうして火の扱いを自ら学びました。)

そして水。
水は山の泉から水道管を手で掘って埋めてきた、そこから届いた水をいただきます。
断水もしょっちゅう。
道中で誰かが間違って鍬を振って水道管が壊れたら水が届かないし、管の途中で魚やカエルが詰まれば断水。
水がきている状態が当たり前ではない暮らしを何度も経験します。
そしてその問題が解決しなければ、暮らしていけないので、断水解決に翻弄する仲間たちが戻ってくるまでみんなでできた食事を食べずに待ちます。
子どもたちが小さいので、あまりに遅いと先にいただくのですが、そうした背景を想像しながらたべるので、お腹が減っても作業をしてくれる仲間に自然と感謝がわくのです。
私も、子どもたちも。
いつだって支えてもらっていきているのです。

2-3. 感謝って

感謝しましょう、って誰が言わずとも、ともに暮らす仲間の帰りを待ちながら、感謝の念は強くなってくるのです。
帰ってきた仲間に、ありがとう、っていう言葉。
ここに滞在する人、一人一人の心からの本音です。

そう、ありがとうという言葉は、ツールではなく、溢れてくる思いを言葉に乗せたものだと今の私は思っています。

なので、日本にいても私は、子どもたちにありがとうって言おうね、とは言いません。
ご近所さんから何かを頂いた時、気にかけてもらったとき、彼らはもうすでにその意味を知っているだろうな、とおもいつつも、私がその方に言葉で感謝を伝えるとともに、我が子にも「ありがたいね。」と言いながらその時をともに味わう。
ありがたいね、って思いに満ちた私たちからのその方へのメッセージは、言葉でなくてもいいよね、って思うのです。

私がその時感じたことを、小さかった我が子と共に味わう事が、思いを言葉に乗せる大切さを伝えてゆくことなんじゃないかなって思うようになりました。
そうして、子どもたちが言葉になるのを待ってたらいい、それをこの経験から学びました。

嬉しい思いがありがとういう言葉になること、感謝の思いを伝えたくて言葉にすること。
暮らしが当たり前にできているわけではないことを知り、私は、言葉は自分の分身だということを実感しています。

ありがとう、という言葉は、「有難し」。本来の解釈はわからないけれど、「有ることが難しい」のだとおもっています。
それでも、自分の元に恩恵が降り注いでくださった。
だからそれはとても「ありがたい」ことです。

薪割りの一コマ。普段、子どもたちに手伝って、とはあまり私からはいいません。でも、ちょっと仕事してくるわ、と私が靴を履いていると、必ず声をかけてくれるのです。「今遊びに夢中で手伝えなくてごめんね。やってくれてありがとうね。」と。そうして、遊びがひと段落するとやってきて手伝ってくれるのです。こうして我が家の生活はそれぞれの優しさと力で回っていることを日々感じています。ありがたいことだなとおもいます。

私にとって、よっぽどのことがない限り、口先だけで使いたくないと思う言葉です。

2-4. ジャングルの夜

また話が逸れました、ごめんなさい。
電気はヘッドライト一つと太陽光のケータイ充電器。
日が落ちると、手を繋いで歩くムスコすら見えません。
手の温もりと、楽しそうな声だけが一緒にいる実感。
一人一つのヘッドライトも足元の悪い道を歩く必需品です。
もちろんサソリもいますから、やたらと壁を触るわけにもいかないので、これ一つがとても大事なアイテム。

ヘッドライト一つで暮らしに安心が生まれる。
それも豊かさだってはっとしました。

火はそれほど明るくないけれど、火を囲むとホッとする不思議。
でも山では特に火の扱いに注意が必要です。風が吹いただけで一気
に燃え広がるので。

日本にいてトイレに行くのに壁を伝っていけるのは、人間が暮らしやすい家になっているからだな。っておもう。
それも当たり前じゃないんだってことも感じています。

2-5. 自然の循環

私たちの使うものって、私たちが使いやすいようにできているけれど、ジャングルにいると人間だけのものなんて大してなくて、竹の家にはカメレオンだってやってくるし、アリンコだってカメレオンのウンチを食べにやってきます。
うちの中にアリンコの行列ができていて毎日払っていたけれども、ある日その先を追いかけてみたら、カメレオンのウンチを運んでくれてることがわかってきづかせてもらったんですね。
アリンコのおしごとはお掃除やさん。

循環の一部なんだって思って以来、カメレオンのウンチを避けるようにし、たまのアリンコの行列は通路で無い限り(噛みつかれちゃうと痛いので)払いのけなくなりました。
それぞれ、何らかの意味があって活動し、生きているのです。
必要がなければそっとしておいたらいい。
そうして自然は循環してるんですね。

シロアリもいるのが前提。その中でどうしたらいいかを考え
て暮らします。石油を浸したタオルを巻き、ビニールで覆うけど、
自然界の循環にはかないません。朽ちたら変えていく、人がそれに
合わせて対応していくのです。

そう思うようになって以来、そんな生き物や木々の様子をいつも観察してしまうのです。
そして人はどうなのだろう、って思うのです。
排泄物ですら人間の都合のいいようにしか循環できていないのかもしれないってね。
人の食べ物は加工品も多いですから、循環の中には入っていけなくて申し訳なくなってみたりもします。

人間の都合のいいようにばかりしていたら、たしかにバランスが崩れてしまう。
それをリアルに想像できるようになったんですよね。
そして、自分のできる範囲に落として、何ができるか考えて試してみる。
今の暮らしはそんな感じです。

2-6. 徒歩での移動

ジャングルライフをしている時、1週間に一度、市場に家族で出かけます。
片道10キロ近い道のりを延々と歩きます。
大変だけど、この経験も素晴らしくて、車があることがどれだけありがたいことなのかを思い知らせてくれました。
いつでもどこでもお天気構わずに必要なものを買いに行ける。
私が、生まれた時から便利が加速する時代だったことをリアルに感じています。

便利はありがたい。
不便を知ったからこそ、感じたことでもあります。
でもね、やっぱりそれが全て万々歳だったかっていうと、私の答えは「ノー」でした。
便利で無い暮らしをして深いところで、気づかせてもらったことがあるのです。

街まで10キロ、小さな子供との暮らしでは、自分の好きな時に必要なものを買いに行けない。
だから私は、今の状況でできることを考えるようになりました。

3. そして今の山暮らし

3-1. 不便は希望!?

その暮らしは、あるもので自分の知恵を試し、深めてみることができるのです。
そう、それは「いつでも自分の力で、自分を満たす。」行動をしていく訓練になると私は感じているのです。
だから、北海道での地震があって、停電になったあの時、ここにあるもので最低限の暮らしをしながら数日の間、生きていくことをシミュレーションしました。そして今あるものを駆使してこうしていけば数日は暮らしていけるという安心感を得て、不安で押しつぶされることもなく、そんな中でも必要なものを生み出しながら、暮らしをつないでいけたんですよね。

日々の暮らしが不便だから、常日頃ごろから自分の力でできることを試して、ある程度は理解してる。
自分の力で何がどこまでできるかを知っておくということの大切さを今はとても感じています。

そして万が一の時、怪我さえしなければ、道が裂けさえしなければ、私たちは10キロをどれくらいの時間で歩けるかを知っています。そこに道の状態を予測して自分のできることを決めていけばいい。
そうして、それくらいまでなら歩いて移動でき、誰かと合流できる、それも大事な安心材料になっていく気がするのです。

不便を経験するのは、希望につながります。

雨の日の移動は基本的にわたしは諦めます。
南の島のハメハメハ大王のようですが、あめがふったら諦めたらいいんです。
天地にはかないません。
どうしてもやりたい、っていう気持ちをコントロールできる力って大切だと思うのです。
こうしたいけど、今はできない。
それを嘆くのでも、怒るのでもなく、仕方ないよね、って笑えたら生きるのが一つ楽になります。
その時間で家族でおしゃべりしてたらいいんです。
「こんな時だからやれたことの中から生まれる豊かさ」が、必ず一つはあるんだって、わたしは経験を通してしりました。

そしてね、市場に向けて10キロを家族で歩く時間。(さっきの話に戻します。。笑)
いいおしゃべりの時間になるんです。
たわいもない会話が楽しい。
ムスコは言います。

道中の道草が大好きなムスメ。
それもいいな、って思います。

時折、そんな私たちをみて、「乗ってく?」って荷台に乗せてくれる村の人たち。
その優しさへの感謝をずっと抱いています。
優しくしてもらったから自分も優しくありたい、そう思いながら暮らせることって、私はとっても豊かなことだって思うんです。
そんな気持ちの循環の豊かさも不便が教えてくれました。

3-2. 不便さとおもしろさと

日本での暮らしにもどり、冷蔵庫のないことも、全自動洗濯機が手動であることも、ほかのうちよりちょっとくらい寒いことも、自分が運転できないための、山道を4キロ歩いて国道まで出なくちゃならんこともいまは、それでいい、っておもうのです。

普通のお家に遊びに行かせてもらったときは、旅館にでもきたかのような気持ちになります、笑。
なんか得した気になるよね、って家族で言ってます、笑。

不便を知ったから気づく恩恵が沢山あります。
不便であることが前提だから、仕方ないよね、って諦めざるを得ないこともたくさんあります。
不便だから自分の知恵をいつでも絞り出して、自分の知恵がついていく実感を得る喜びが日々あります。

四月の端境期、あえてかいものにいかない、という実験をしています。あるものでなんでも作れる、というよりまる物しか作れない、という感じになるのが本音です、ひたすらふきのとうを食べてる気がします。でもね、それでも春になり、大地から植物が出てきてくれるということがうれしいのです。

不便は希望なんじゃないかって私は最近思うんです。
自分が日々を豊かな気持ちで生きていける、そんな希望。

ライフラインの無い暮らしが教えてくれたこと。
沢山あって、いつまでも書き綴れそうです、笑。
不便トークともう一つ、大事な気づきをいただきました。

どんなことがあるにせよ、私は生きてるだけで、数えきれない恩恵を受けてるんだっていうこと。

お天道様の暖かさが得られることも、野草が生えてきてくれてたべられることも、自然が与えてくれる恩恵であり、自分を思ってくれる家族やお友達や知り合いがいてくれるということ。
寝込むことなく動いてくれる身体があり、今日も笑えるということ。

数えきれないくらいの恩恵の中で今日1日を生きてる。

もう、返しきれないご恩を私は自然を始め、もの、こと、他人様からいただいています。
自分なんてって思っていた頃の自分に伝えたい。
なので、今は、「いつもありがとうございます。」という気持ちをいつでも持ち続けながら自分の生を生きています。

図らずもディープな話になってしまいました。
今日もお付き合いくださり、ありがとうございました。

英語の話せない主婦がタイのジャングルで過ごす一日

2020.12.06

こんな、タイで得た経験を元にした、「遊暮働学(ゆうぼどうがく)」というライフスタイル。
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