1.余命宣告か?
2015年夏。
妻の体調がすぐれず、病院に通っていた。
橋本病のような症状だということ。
月に2〜3回通うようになったその病院。
そんなある時、普段はただ付き添いだけの自分に、お医者さんから声がかかった。
「ご主人、ちょっとお話がありまして。いいですか…?」
「え?」
(なんだろう。
これって、よくテレビドラマで見る展開じゃないか!?
「ご家族に今のうちに話しておきます。実は…」
「奥さんは、重度の〜〜にかかっていまして…」
「余命があと…」)
いやな想像とともに、ドキドキしながらお医者さんのところへ。
2.寝たきり宣言

「奥さんですけど、相当疲れがたまっています。何ヶ月か寝たきりになるぐらい休まないと、このまま鬱になってしまうかも知れません。」
正直このとき思ったのは、「なぁんだ」ということ。
そして、「よかったー」と思った。
余命とかの心配をしていたので、ある意味拍子抜けだった。
なんだ、何ヶ月か寝てたらよくなるのか。
仕事やめて時間はあるから、子どもたちの面倒全部オレが見ればいいってことでしょ?
この時自分は、喜びすら感じていたかも知れない。
これまでワンオペで大変だった妻に「お医者さんの言うとおり、何もしないで寝てていいよ」と言える喜び。
子どもの面倒を堂々と?見れる喜び。
なんか、いいパパっぽいじゃないか(笑)
謎のポジティブな考えが浮かび、それ以来妻には、「いいよいいよ、寝ててー」という感じだった。
3.タイのパーマカルチャー・ファーム滞在へ向けて

それよりもその頃、わが家には大事なことがあった。
名刺の裏に書いた、実践予定のテーマのうちの一つ「海外視察」。
実はこれは、2013年に行って人生最大の衝撃を受けた、タイのパーマカルチャー・ファーム。
ここに家族で長期滞在をしてみないかという話を、パーマカルチャー研究所を立ち上げたときから、妻としていた。
タイに行こうと考えていたのは、2015年11月。
それまで数ヶ月ある。
数ヶ月、妻には寝続けてもらって、体調をある程度回復してもらって、タイへ行く。
これがこの時の家族の、大きな目標になったのだった。
数ヶ月の方針が決まったわが家。
妻もこの目標に向けて、こんこんと寝続ける日々を送ってくれた。
毎日何もせず一日中寝る妻を見てるのは新鮮でホッとしたし、この時は子育ての責任が自分にあるようで、なんか楽しかった。
当時6歳の息子と2歳の娘も状況を分かっていたから、ママのためにも3人で頑張ろうね、みたいな、子どもとの結束力が生まれて絆が深まったような気がしたのも嬉しかった。
特に料理が好きな息子は、張り切って全員分の夕食を、数品のおかずとともに作ってくれて、驚くこともあった。

以上、パーマカルチャー研究所を立ち上げた頃の話でした。
この時から、暮らし自体が、遊びで、学びで仕事である、だから究極、ただ暮らしていれば暮らしが回る、そんな「遊暮働学(ゆうぼどうがく)」のライフスタイルを実践しています。この暮らしの実現方法についての詳細を、無料のメルマガ講座でお伝えしていますので、興味のある方は、下のフォームからご登録ください。メールアドレスだけでも、登録できますよ。