1.「へしこ」作りを習いに北陸へ
さてさてこんにちは。
発酵旅の2日目。
列車の運休も発生する中、寒波をかいくぐり、少しずつ移動しています。
2.お魚のお漬物を学ぶ旅
お魚のお漬物、かぶらずしに続き、へしこも習いに来たんですよ。
お魚の保存を学びたかったのです。
寒波の影響で、前日の列車は終日運休、当日は宿を早めに出てドキドキしながら移動です。
北海道とは違う山の木々の中を通り過ぎ、時は朝の8時半。
6時台には怪しかった空がスカッとお天道様が顔を出してくれました😌
なんという有難いことなのでしょう。
目の前が明るくなると、腹の底からエネルギーが湧いてくるようで嬉しい。
さてさて、へしこを教えてくださる方ところへ。
ついた途端、笑顔で迎えてくださる先生と、おかあさま。
緊張が一気に解けて、とっても暖かい雰囲気の中、仕込みの開始です。
まずは道具の準備から。
樽に全てを漬け込んだ後、空気に触れないよう、しっかりと落とし蓋の周りを埋める縄を作ります。
昔は稲藁で編んでいたそうですよ。
コツはただ編むだけではなく、「隙間から空気が入らないようにする」ことを意識し編んでいくこと。
未だ昔の癖が顔を出して、言われた通りただ三つ編みにしかけたわたしに、先生からのアドバイス。
「幅を広めに、ゴツゴツしないように縄を編まないと、隙間から空気が入って、雑菌が繁殖するきっかけを作るよ。」声をかけてくださいました。
言葉だけ聞いて、「あまり考えずに、教えられたことだけやる。」習慣がまたひょっこりと顔を出してるよ、私。笑。
こうしてハッとするたびに、自分の習慣が変わっていくんだなあって思います。
3.さて、へしこをつけますよ。
道具の準備が終わり、次は漬け込み方を教えていただきました。
とは言いましても、この日の私は、大変な過程をショートカット。
先生が数日前から、内臓を抜いて、下付けをしてくださっていました。
手配してくださった貴重な無農薬の糠で、さあ、開始です。
糠に塩水や先生が繋いできた糠床さんを足してもらいます。
先生の魔法✨注入。
熟成された先生の糠床さんのいい香り。
さあくるくるとしっかりぬかを混ぜて、さあ、サバを漬け込んでゆきますよ。
塩漬けした鯖一つずつに丁寧に糠を挟み込み、
糠→塩鯖→糠→塩鯖→。。。。
と、途中麹と唐辛子を挟みつつ、ミルフィーユにしてゆきます。
そうして塩鯖を全て樽に入れてあげて、最後に空気が入らないように、カバーをして重石を置く準備をします。
これから10ヶ月、菌たちが気持ち良く活動できるように、天気や湿度を見ながら、熟成させる場所を選んでいきます。
樽の様子を見ながら、どこが好きかなって考え、必要に合わせて移動しながら熟成させていくそうです。
先生のお話を聞いて、今までよりもう少し、微生物たちと丁寧にお付き合いしてみようと感じました。
へしこ一年生の私。
気候も違うでこの一年、色々考えながらしっかり経験して試行錯誤してみようと思います。
室(ムロ)はありますが、ネズミさんの動きもあるので工夫が必要そうです。
楽しみだなあ。
4.発酵の先生から学ばせて頂いた生きることについてのお話。
先生の微生物との向き合い方が素敵だなあとじんわりと感じた私。
以下はそんな私にとっての学びを呟いています。
長いので、ご興味のある方だけお付き合いくださいませ(^-^)
先生は、発酵のお話も深く、興味津々でしたが(へしこをつけながら、片手間で学べることではないので、また伺いたいです(^-^))、お料理を通して、自分の生き方をそっと考えさせてくれるような、問いかけをしてくださる先生でした。
へしこなどのような先人の知恵をたくさん見て、味わって、感じて、手を動かされてきた先生が、人の暮らしについて、こんな風にお話をしてくださったんです。
「自然界の法則に人は寄り添い、我ではなく、共に生きるっていうことなんだろうな、と思いますよ。」
と。
私の受け止め方ではありますが、そんなお言葉に、私は自分の山で暮らす日々がふっと重なったのです。
私たちの山での暮らしには、こんな自然界との関わりがたくさん入り込んでいます。
大豆一つをとっても、大地に種を落としてから、収穫までに様々なことが起こります。
大豆ってね、種を落としてすぐの気候が雨続きになると、水を吸って芽吹こうとしていた種が腐っていくんです。
ジメジメには弱い。
そうして腐敗をしていくと、それは土の栄養になっていくんです。
私たちが食べようと思って落とした種ですが、微生物や虫たちのご飯になっていきます。
そうすると、もう一度種を落とすんです。
でも、芽吹いた時に鳩がついばみはじめたら、私たちが食べれる分はあまり残りません。
また淡々と撒き直すしかない。
そうしてやっと芽が育ち、夏がおとづれ、枝豆として青々とした頃。
「明日くらいに収穫しようか」と言ったその次の日の雨。
雨が止み、さあ収穫するぞといってみると、お豆がない。。。
そう、今度はネズミがやってくるんです。
去年はそうして大豆系統を全部やられました。
でもね、このまま、枝豆を楽しめたとしても、乾燥大豆までまとうとすると、今度は鹿がやってくるんです。。
秋が近くなり、野草が硬くなり始めると、鹿たちは畑の柔らかい草や葉を狙います。
葉を食べられると、豆がそれ以上肥えることはありません。
こちらは8月の終わりにはストーブを使い始めます。
日に日に山は冬に向かうので、今度は鹿は豆すらも狙い始めるんです。
そんな風に毎年、いたちごっこをしながら暮らしています。
動物たちも生き延びるために必死。
私たちも生き延びるために必死。
お互いに妥協できないので、畑を守れるところまで、こちらも必死に守ります。
でもね、はじめて動物にやられた時に味わった自分の感情の変化をはっきりと覚えています。
「せっかく植えたのに」と、悔しさと悲しさを抱えつつ、種を植え直すなり、ネットを張り直すなり、対策をしているうちに、ふと、思ったのです。
「ずっとこうして厳しい自然の中を生き抜いてきた彼らの知恵に、今の私はまったくもっては敵わないはずだよね。」
と。
抱えていた感情が全て溶け、来年は負けないからなー!って呟きました。
あれから四年。
毎年何かしら、こんなことが起こります。
でもね、悔しさとか怒りとか、もう湧かないんです。
私たちの周りで、彼らが子育てをし、冬の寒さを生き抜いているのを、毎日のようにみていると、「お互いに一生懸命だもんね。」って気持ちの方が優ってしまってね。
本当に彼らも私たちも、必死に生きてるんです。
もちろん、こちらも生きなくてはなりませんから、毎年、知恵くらべしながら、畑の作物を守ります。
でも、やれらたら、そこまで。
我が家は農家さんではありませんから、足らなければ、誰かにお願いすることもできるんです。
それは、人間だけが使える知恵なのだと思います。
来年はあげられないからね!と、彼らをみるたびに家族全員でお説教をしつつ、笑、起こったことには抗えない、それがここでの暮らしなのです。
そうそう、もう一つ、そんな話がありました。
我が家の庭には、果樹の木と、とうもろこしは植えられません。
子供たちが大好きなので植えたいけれど、熊を呼ぶから絶対植えちゃダメだ、という、この土地を貸してくれたじいちゃんからの教えなのです。
熊を呼んでしまったら、お互いに困ります。
私たちが動物たちの生きてきた山に住まわせてもらっている以上、好き勝手にはできない部分があるのです。
動物たちとの距離を取る配慮が必要です。
5.ゆっくりと生きていく
「自然界の法則に人は寄り添い、我ではなく、共に生きるっていうことなんだろうな、と思いますよ。」
先生のおっしゃったその言葉の意味をじんわりと感じています。
野生動物も、私たちも地球から与えたもらった恩恵の中で生きています。
母なる大地とはよくいったものですね。
共に生きている気持ちを持つと、怒りが減ります。
そして、彼らの生き様を観察するようになり、そこからたくさんの強さと知恵を学ぶことができます。
それは私の腹の底にあった不安を少しずつ、溶かしてくれるヒントになっています。
昔の人の山菜の取り方も素晴らしいです。
昔はね、山に野草を取りに行くときに、今生えている三分の一だけを頂くそうです。
それは、自分達家族の分。
あと三分の一は、来年のために根が絶えないようにする分。
最後の三分の一は野生動物の分。
ここにきっと、同じ村に住む仲間たちへの想いも加わるのでしょう。
今ならその意味が染み入るほど良くわかります。
いつでも分け与えるつもりでいたら、我先にと急ぐこともなく穏やかに過ごせますから。
さて、長くなりましたね。
おしまいにします。
先生にお会いするために、ドキドキしながら出かけた未踏の地。
でもね、先生にお会いしたその日から、そこが会いたい方のいる地になりました(^-^)
このあったかい気持ちが本当に豊かだなあって思います。
先生をはじめ、参加されていた皆さんの優しさに胸がいっぱいのまま終わった、
感謝溢れる一日。
本当に、ありがとうございました🙏☺️
そしてこんな熱いブログを読んでくださる皆様にも、感謝を込めて🙏😌
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