月に一度の休みしかなかったサラリーマンが、週休六日の自給自足の日々に至るまで

「毎朝、起きるのは楽しみですか?」

このように聞かれて、あなたはどう答えますか?

今のぼくなら、こう答えます。

「もちろん!毎日、めっちゃ楽しみっすよ!
  ついうっかり、早起きしちゃいます。」

と。

だけど数年前の自分なら、こんな風に答えていたことでしょう。

「は?そんなわけないじゃん。毎朝、憂鬱だし、もっと寝てたいわ。」

と。

その当時は、普通のサラリーマン。
都内に住んで、早朝から電車に乗って出勤、
夜は終電近い電車で帰宅し、
12時近くに帰ると家族はすでに就寝中。

用意してくれていた冷めた夕飯を一人でかき込み、
お風呂に入ってすぐ就寝。

翌朝も睡眠不足の中、家族が起きる前に起きて職場に向かう、
そんな日々の繰り返しでしたから、

毎朝、起きるのが楽しみなわけはなく、

もっと寝てたい、もっと休みたい、もっと家族と過ごしたい、

そんな毎日を過ごしていました。

そんなぼくが、毎朝起きるのが楽しみな日々を送れるようになったのは、

「パーマカルチャー」

という生き方を知り、その実現に向けて、失敗を繰り返しながら、
ひたすら実践を積み重ね続けることができたからです。

そんな、これまでのぼくのストーリーを

これまでのぼくと同じように、
毎日、朝が来ることが憂鬱だった日々を送っている人に、お届けします。

なんとか日付が変わる前に帰ってこれた。

最近生まれたばかりの息子に、早く会いたい。

だけどここ数日、息子とは会えていない。
いや、正確には会っているのだけれど、
いつも寝ている姿しか見ることができていないのだ。

そして今日も息子は寝ている。

いやいや、ぜいたくは言えない。
今日は日付が変わる前に帰ってこられたんだから、マシな方だ。
昨日の帰宅は午前1時を過ぎていて、相当つらかったのだから。

妻とも最近、まともに会話をできてないな…

息子が産まれたばかりで妻は相当大変なのに、
なかなか息子の面倒を見ることができない自分。

時間を作りたい。
だけど、仕事は次々に湧いてきては終わらず、
毎日、家に帰れるだけでもマシな方だ。

怒涛の1週間が終わってようやく休日。

3人で買い物に出かける。
息子を抱っこしながら、ようやく過ごせる家族の時間。

だけど束の間の幸せな時間も、長くは続かない。

「あぁ、早く帰って月曜日の仕事の準備しておかなきゃ」

買い物中にそう思ってしまうと、妻の買い物を待てなくなる。
イライラしてきて、

「ちょっと、買うもの決まってるんでしょ!?
 さっさと終わらせてくれない!?」

せっかくの休日も、こんな調子。

家族と幸せに過ごしたい、
そのためにはお金が必要、
だから一生懸命仕事をしているのに、
結局、家族と過ごす時間がなくなっている。

自分は何をやっているんだろう?

忙しすぎて家庭がうまくいかないパターンはその後もずっと変わらない。

そんな日々に思い浮かんでいたのは大学時代の先生たちのこと。
先生は、一人ひとり個室を与えられて、自分の好きな仕事を、自分の裁量で、
自分のペースで、余裕をもって仕事をしていた。
(少なくとも学生の頃のぼくから見ると、そんな風に見えた)

ちょうど異動のタイミングで、希望していない部署へ配属されそうになっていたこと、
自分のペースで研究や仕事ができそうに思えたこと、
人に教えることが昔から好きだったこと、

そんな理由から、その時の仕事を辞めて、
大学の教員を目指すという大きな決断をした。

当時の仕事を辞めて、東京から生まれ故郷の北海道に戻り、
教員になるために再度、大学に入学、1年間の学びの期間を経て、
高等専門学校(高専)の教員の仕事が決まった。

高専でも、大学と同様、教員は一人一人に個室が与えられる。
自分もついに、念願の個室をもらい、研究・教育を仕事にできるようになった。

「これからは、自分の裁量で仕事をしながら、家庭のことも両立してやっていくんだ!」

再就職直後の自分は、希望に満ちていました。

だけどその考えが間違いであることに気がつくのには、
たいして時間がかかりませんでした。

実力のない自分は、実は膨大にあった高専の仕事量をこなすことができず、

自分の裁量を使って長時間労働・休日出勤をして、その仕事を何とかこなす日々になっていたのです。

自分と違って実力のあるベテランの先生方は、
裁量を使ってどんどんと仕事をこなしていき、
ワークとライフのバランスをとっています。

自分はといえば、自分の「裁量」によって、ひたすら長時間勤務と休日出勤を繰り返す日々。

ちょうどこの時期、二人目の子が生まれて妻の子育ての負担が大きくなり、
再び家庭がギクシャクし始めました。

個室と裁量権を使って仕事も家庭もうまくやる、

そんな理想は、まったく非現実的なものだったのです。

再び訪れた、家族とうまくいかない日々。

そんな時に、たびたび思い出していたことがありました。

大学に再入学して、比較的時間があった頃に家族旅行で訪れた、
タイのパーマカルチャー村のことです。

「パーマカルチャー」とは、持続可能な暮らし方のこと。

そのパーマカルチャー村では、自然から得られる水や太陽光発電などのエネルギーを有効に利用し、

ライフラインの通っていない山奥のジャングルの中、

畑で食べ物を作る、山から木や竹をとってきて小屋を作るなど、

日々の仕事は生きるのに必要な最低限のことだけ。

夕方からは、パチパチと心地よい音をたてる焚き火を囲みながら、
家族や村の仲間とゆっくり過ごす、

そんな穏やかで快適な暮らしを実現していました。

自分が求めていたのは、こんな暮らしだったんだ…

「パーマカルチャー」

すばらしい生き方だ。
自分もパーマカルチャーの暮らしを実現できたらなぁ。

そう思って、そのパーマカルチャー村で見た太陽光発電を真似してみることにした。

太陽光発電を購入し、自宅のアパートのベランダにつけてみた。

同じくタイのパーマカルチャー村に感動していた妻も大いに喜んでくれた。

「これでうちらもパーマカルチャーかなぁ」

太陽光発電で照らされた明るすぎない照明のもとで、
妻とも久しぶりに希望に満ちた会話をすることができた。

だけど、そんな希望の会話も、長くは続かない。

翌日からはいつも通りの忙しすぎる日常。

週に2日あるはずの休みは次第に週に1日になり、
それは月に3日、2日、とうとう月に1回の休みを取るのも
大変という、東京での仕事よりも忙しい日々になり始めた。

だけどそんな中、とにかくパーマカルチャー村で見たことを自分の暮らしに取り入れるんだ!

そう思って、太陽光発電を教えてくれた師匠に、
暮らしの中でできる省エネ技術を教わった。

段ボールの中に土を入れて、その中に生ゴミを入れると、土の微生物が生ゴミを分解して生ゴミが消えてしまうという

「段ボールコンポスト」

実は冷蔵庫はなくても、冷凍庫と大きめの発泡スチロールさえあれば
暮らしていけることを教えてもらい、大きな冷蔵庫を捨てて小さな冷凍庫を購入。
そうすることで電気代が一気に減った。

そして家の電気の契約を、20アンペアから15アンペア、10アンペアと
段階的に減らしていった。

そんなパーマカルチャーっぽい行動をするたびに、
「これでまた一歩パーマカルチャーに近づいたね」
と、妻とは喜びを分かち合い、希望に満ちた会話をすることができた。

だけどそうやってパーマカルチャーっぽい暮らしをしても、大量の仕事がある現実は変わらない。

相変わらずぼくは、月に1度しか休みのない日々。
さらにはちょうどその頃、二人目の子どもも生まれて、
授乳や育児の負担が全部妻にのしかかる。

ぼくの疲れと妻の育児ストレスはピークに達し、
我が家で忘れることのできない、二つの大きな事件が発生した。

当時、どうしても産まれたばかりの娘に会うために、

「裁量」を利用して、無理やり娘の起きている午後7時に帰っていた。

わずかに家族に会える時間に幸せを感じつつも、
当然、全く仕事が終わっていない状況なので、翌日は午前2時に起床。
午前3時半には職場に行く、そんな日々を繰り返していた。

車通勤をしていた当時、眠くて意識が朦朧としながら運転をしている時、
運転中に意識がなくなり、居眠り運転をして赤信号に突っ込んだ。

幸いにして、2、3秒程度の居眠り運転。
午前3時頃なので周囲には人も車もなく事故には至らなかったが、
この暮らしに限界を感じ始めた。

そして二つ目の、決定的な事件。

ぼくが海外出張で1週間家を空けていた。

ちょうど帰りの空港で、飛行機を待っている間に受け取った、妻からの衝撃のメール。

育児ストレスがピークに達して、上の息子に当たってしまった、どうしよう。この暮らし、もう限界…

長文で、悲痛な思いが書かれていた。

即座に、

「もうこの暮らしは終わりにしよう」

と返信、
帰国後にすぐに上司に辞職の意を伝えた。

振り返ってみれば、

太陽光発電や省エネなど、
パーマカルチャーっぽいことをやってみても、
根本的な働き方や生き方の部分が変わっていなかったので、
こんな風にうまくいかないのは当たり前です。

だけど当時は、

生きていくにはお金が必要、
お金のためにはどんなに厳しい状況でも仕事をし続けなければいけない

という、ぼくの根本的な考えが原因となって、
家族全員が大変な目にあっていたのでした。

再び、家族と過ごす時間ができました。

妻とも話し合いの日々が続きました。

どうしてこんなことになってしまったのか。

もっと幸せな生き方をしたい。

話し合いの中で、度々ぶつかることはありましたが、

「やっぱりタイで見たパーマカルチャー的な穏やかな暮らしを実現させたい!」

この思いだけは、妻とは常に共有できていました。

仕事を辞めて時間ができた僕らは動き始めます。

パーマカルチャー的な暮らしを教えてもらえる、

「エコビレッジ体験塾」なる月に一度の講座に、家族で通いました。

就職してしまうと、すぐに長時間労働になってしまうと思い、
もうパーマカルチャー自体を自分たちで仕事にしてしまおうと、

「パーマカルチャー研究所」を作りました。
作ったと言っても、その辺にあった段ボールに、
パーマカルチャー研究所と書いて、
当時住んでいたアパートの玄関に貼り出しただけです。

だけど僕らにとっては、小さく見えて、とっても大きな一歩でした。

小屋を手作りしていたパーマカルチャー村を見習って、
ぼくも小屋作り講座を受講して、
アパートの中に子どもたち用のロフトを手作りしてみました。

タイで見たパーマカルチャー村のように、
自分も大自然の土地を切り拓いて、小屋を作って住んでみたい!
そのためには土地が必要だ!

と、パーマカルチャー研究所の名刺を作って、
いろんな人に土地を紹介してもらえないか、頼んでみることにしました。

ビギナーズラックもあって、
すぐにアパートから近い場所の原生林の土地を紹介してもらえました。

「ここを開拓して小屋を作って、アパートからここに移り住もう!」

そうしてこの土地の、開拓を始めました。
小屋を作り、自然に還るエコトイレを作り、太陽光発電を設置し、
手掘りで井戸を掘って地下水を使うこともできるようになりました。

だけど、本当にこの原生林で生活するには、キレイで多くの水が必要です。

手掘りで掘った井戸からは、水は出るものの、
金属のにおいがしてとても不快で、量も少ない時には数リットルしか出ません。

ポンプを外して井戸をさらに深く掘る日々が続きます。

1日作業をしても、10センチほどしか掘り進まない井戸。
次第に焦りが募ってくる。

「何をやってるんだ、オレは?
 お金も稼がずにいつ出るのかわからない井戸を掘り続けるなんて…」

再びこの暮らしに、暗雲が立ち込めてきていました。

そんな時、その開拓生活の記録をしていたブログに一つのコメントが。

おもしろいことをやっていますね、
あなたの目指しているような暮らしを実現されている方を知っていますよ。
一度お会いしませんか?

そんな内容でした。

その方を頼って紹介していただいた、
札幌の山奥でパーマカルチャー暮らしをしている老夫婦のYさん。

Yさんは、山奥の土地を自分たちで開拓、
立派な家を手作りし、畑で野菜を育て、
キレイで豊富な山の地下水を家まで引いてきて使い、
薪ストーブを自作、そして薪割り機も自作してしまうという、
驚異的な「パーマカルチャー力」の持ち主でした。

Yさんの手作り薪ストーブ!

あまりに感動して、Yさんの元に通いつめ、
その自給自足の暮らしについて質問をしまくる日々が続きました。

そんなある日のYさんの一言。

「敷地は広いんだから、あんたさえよければ、ここに住んでいいんだよ」

「へ?」

一瞬、どういうことかわかりませんでした。

「マジですか!?いいんですか!?」

そんな経緯で、今はその山に移り住み

プレハブの自宅をDIYで少しずつ改良しながら住み、

畑で野菜も作り、
山の中から木を切ってきてそれを薪にして冬の暖をとる、

まさにタイで見てきたような、
理想的なパーマカルチャー暮らしに一気に近づくことができました。

妻や子どもたちとも、日々、この暮らしの穏やかさに感謝しながら、
ゆとりを持って生きることができるようになりました。

小鳥のさえずりで目がさめる幸福感は、なんとも言えないものがあります。

ここで、数年前の本当にきつかった日々を、冷静に振り返ってみると

忙しすぎるサラリーマン時代、
そしてそれとは対極のタイのパーマカルチャーファーム。

そこでぼくは、タイのパーマカルチャーファームのような
暮らしをしなければ、大変なサラリーマン人生を脱することはできないと思い、
サラリーマンを辞め、原生林の土地を開拓し、小屋を作り、井戸を掘ってきました。

そして今、運良く山奥の土地で、いかにもパーマカルチャーっぽい、
自給自足の日々、あの頃とは180度違う人生を歩んでいます。

これを見ると、以前のぼくと同じようにサラリーマンで大変な思いをしている方は、

「そんな井戸掘ったりできるわけないじゃん」

と思ってしまいますよね。

だけど、ここ数年、それこそ井戸を掘ったり小屋を作ったり、
色々なことを試してみて、わかったことが二つあります。

(1) 結局、ぼくのサラリーマン時代、何が問題だったのか。
(2) そして、どうすれば解決できたのか

(1)について

・生きるためにはお金が必要、お金がないと生きていけない
・生きるためのお金を稼ぐためには、どんなに大変な仕事でも我慢してやり続けなければいけない

この考えが問題だったのです。

この、生きることがお金だけに依存している状態、
これをぼくは、「依存的暮らし」と呼んでいますが、
まさにこの、依存的暮らしという考え方こそが、問題だったのです。

そして(2)の、その解決策について。

それは何も、サラリーマンを辞めて井戸を掘ることではなく、

仕事を辞める必要もなく、
田舎に移住する必要もなく、

ただ、その「依存的暮らし」という考え方を、

生きることをお金だけには依存させない状態である、「自立的暮らし」という考え方にシフトする、

それだけのことが、解決策だった、

そんな二つのことに、気がついたのです。

それは、タイのパーマカルチャー・ファームで見てきた、
「遊暮働学」という生き方にヒントがあります。
(この四字熟語は、オリジナルの言葉ですから、辞書にはまだ載っていません)

この言葉は、「」びも仕事(遊暮働学の「」くこと)も「」びも、

全部「」らしの中にある、

だから究極的には、ただ暮らしていればそれでいい、
そういう考えです。

タイのパーマカルチャー・ファームでは、
暮らしていることそれ自体が、仕事であり、学びであり、遊びでした。

例えば、暮らしに必要な小屋を家族で作ります。

小屋を作るという仕事をしながら、

子どももそれを見て自ら学び、

また、それは自分たちのペースでできるから、

遊ぶようにその仕事をやってしまいます。

暮らしのあらゆる部分をそうやって過ごすことで、
ただ暮らしていれば暮らしが成り立つというような、
夢のようなことが成り立ちます。

夢のようなと言いましたが、貨幣経済が発達する前は、
きっとそのような暮らしは当たり前だったのでしょう。

このような暮らしを、現代の資本主義経済システムの中であっても
並列的に、バランスを取りながら実現してしまい、

日々を穏やかに過ごす新しいライフスタイル、

「遊暮働学」

を実現する。

それは、タイだから実現可能なんでしょ?
日々仕事に追われる日本では無理でしょ?

と思われると思いますが、
遊暮働学を実現するための第一歩は、

家を作るという突拍子もないことではありません。

第一歩は、ただ、思考を変えるだけです。

思考を変えることは、今いる環境は全く関係ありません。

そんな夢のような方法を、パーマカルチャー研究所では、
メルマガを使ってお伝えしています。

ぼくは、井戸を掘る、小屋を作るなど、一生懸命
「パーマカルチャーっぽい行動」をしてきましたが、
はっきり言って、こんなに遠回りな行動をする必要はありません。

ぼくがこの数年かけて得た知見、遊暮働学を実現する方法を、
メルマガでは皆さんに無料でシェアしております。

ぼくは、遊暮働学で自立的暮らしをすること、これは、これからの時代のスタンダードな生き方になると確信しています。

そして、ぼくが目指すのは、そういう人たちが集まって、
さらに、持続可能かつ、おもしろい世界を作り出すことです。

ぼくは、そういう人たちがたくさん集まって話をしながら、
それぞれの日常の暮らしをおもしろいものにして、
それを見た他の人たちもまた、遊暮働学な生き方を真似していく、
そんなおもしろい世界を作っていきたいと思っています。

このメルマガは、そんなおもしろい世界を作り出す、メルマガを利用したコミュニティと考えています。

現代のテクノロジーを利用した、オンラインの村のようなものです。
オンラインですから、全国、そして世界の人たちがその住民になることができます。
その村では、仲間と語り合い、その語り合いを元に新たな日々を紡ぎ出す、
そんな、進化する日常の繰り返しを作っていきたいと思っています。

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