空き時間に読めるYukiの物語

「日々、バタバタして、ストレスたまってませんか?」

この質問に対し、

「いや、全然。
 好きなだけ寝てるし、好きな人と好きな仕事しかしてないもん」

と答えられる人、今の日本に、どれぐらいいるでしょう?

国立大学の大学院を出て、

一部上場企業に就職、

支社勤務ののち本社の研究所に異動、

教育・研究を仕事にしたくてその企業を辞職、

1年間の大学再入学後、博士(工学)の学位を取得、

翌年、念願かなって高等教育機関の助教として再就職、

1年後に准教授に昇進

履歴書通りの書き方をすれば、
順風満帆に見えるかもしれないぼくの人生ですが、

この経歴とは裏腹に、幼稚園のころから小中高と進学、
大学卒業後に社会人生活を送り続ける中で、
一貫してある違和感を抱き続けていました。

そして
「自分はどうしてみんなと同じようにできないのか、
自分はダメ人間なのか」

と悩み苦しんでいました。

この違和感による生きづらさに悩み、もがき、苦しんできたからこそ、

「忙しいだけの日々」 を卒業したから、

毎日を、ゆっくりとした幸せを味わいながら、
穏やかに過ごす方法や考え方、

なぜ人は忙しいだけの日々になりがちなのか、

こういったことを、

昔の自分のように、忙しすぎる日々から脱出しようと

もがき苦しむ人たちに、
このお話をさせてもらいます。

小さいころから、学校はぼくにとってつらいところでした。

あれは幼稚園に行く前日の記憶、

昼寝する母を横目にこんなことを思っていました。

「あーあ、明日から幼稚園行かなきゃいけないのか。
大変そうだなぁ。」

その予感通り、幼稚園は言われたことをちゃんとやらなければいけない、
大変なところでした。

そしてその大変さは、小学校、中学校、高校に進むにつれて、エスカレートしていきます。

言われたことをやらなければいけない、
友達とは空気を読んでちゃんと合わせなければいけない、、、

大学は比較的自由に過ごせたものの、
会社に就職してしまうと小中高時代とは比べ物にならない不自由さが待っているのではないか。

そんな、社会に対する恐れという理由から、大学院に進学したほどでした。

大学院に進学し、自分は電力・エネルギー分野の研究に熱中していました。
そしてこの分野の研究を仕事にしたい、
大学生生活は十分満喫したし、

そろそろ就職してみようかなという気になり、

電力・エネルギーの研究を仕事にできそうな、一部上場企業に就職しました。

でもそこで待っていたのは、支社勤務での、上下関係のとても厳しい現場生活でした。

真夏の炎天下の中、電柱に昇って電線のメンテナンスなどをする仕事は、
過酷そのものでした。
天候もさることながら、さらに恐ろしいのは現場責任者です。

自分は若手作業員として、電柱の上で作業をします。
作業を間違えて感電すると即死してしまうという現場仕事ですから、
当然、現場責任者は軍隊のように厳しい人ばかりです。

学生時代に厳しい体育会系の部活に所属したことのないぼくは、
この日々に苦しみました。

厳しい仕事

自分の同期は、高校卒業でぼくよりもかなり若いのに、
体力もあり、体育会系のノリにも慣れていて、
現場責任者からも好かれて、どんどん仕事を覚えていきます。

年齢だけ上の自分は、6歳も年下の同期に遅れをとりまくり、
プライドが傷つけられる、つらい毎日でした。

当時は、仕事をうまくするためには勉強が必要だと思い、
帰宅後も現場作業の作業手順を復習するなどの努力を続けましたが、
やはり体育会系の雰囲気になじめない自分は、
いつも遅れをとり続けていました。

今の自分から見れば、

「いや、自分を生かせる環境ってのは自分で選べるんだから、
さっさと環境変えなよ」

って思うんですが、当時は、

 「石の上にも三年、これぐらいでへこたれて辞めてたら、
 この先どこにいってもお金を稼げなくて飢え死にしてしまう」

と思い、あまり身にならない努力を積み重ねる日々でした。

努力と言えば、仕事を覚える努力だけではなく、

自己啓発書、ビジネス書もよく読みました。

どうやったら現場責任者に好かれるだろう、
どうやったら苦手な仕事を楽しいと思えるようになれるだろう、

などと考え、たびたび本屋さんに行っては、
その時の自分の悩みに合う本を探して読んでいました。

しかし同時に、ある友達Aが別の友達Bに言っていたこの言葉も引っかかっていました。

「こんな本読んで年収が10倍になれば苦労しねーよ。
自己啓発書読むなんて、宗教にはまってるのと同じだろ。」

この言葉を聞いたとき、なんとなくその場の雰囲気で友達Aの言葉に同調し、
自己啓発書を読んでいた友達Bを笑ってしまったのです。

それ以来、自分も自己啓発書を読むことに、なんとなく後ろめたい気持ちがあり、

本を読むときは必ずブックカバーをつけて、
隠れて自己啓発書を読むという努力をしていました。

そのかいあってか、辛く厳しかった6年間の支社勤務を経て、
念願だった、本社の研究所勤務への異動が決まりました。

就職活動当時、面接でしゃべっていたような、
自分が理想としていた研究の仕事ができるようになったのです。

これで理想の生活だ、と思ったのもつかの間、
現実はそうは甘くありませんでした。
仕事の量が支社勤務時代と比べると半端じゃありません。

ちょうど1人目の子どもが生まれたタイミングでの異動であったこともあり、
新生児の世話や家事のすべてを妻に任せて、
自分は深夜も休日も、仕事ばかりの日々が続きました。

当時はそうやって仕事に集中することが、家庭を守ることにつながると思って
がんばっていたのですが、
妻からすると大事なのは日々、一日一日のこと。
育児や家事のすべてを放棄して会社へ行き続けるぼくに対する妻の不満は、
日々つのっていき、
二人の間には「離婚」の二文字がちらつくようになったのです。

離婚は踏みとどまりましたが、

忙しすぎて家庭がうまくいかないパターンはその後も続きました。

そんな日々に思い浮かんでいたのは大学時代の先生たちのことです。

先生は、一人ひとり個室を与えられて、自分の好きな仕事を、自分の裁量で、
自分のペースで、余裕をもって仕事をしていました。
(少なくとも学生の頃のぼくから見ると、そんな風に見えました)

ちょうど異動のタイミングで研究所勤務も終了になりかけていたこと、
人に教えることが昔から好きだったこと、
自分のペースで研究や仕事ができそうに思えたこと、

これらの理由から、その時の仕事を辞めて、
大学の教員を目指すことにしました。

仕事を辞めて、教員になるために再度、大学に入学し、
1年間の学びの期間を経て、
高等専門学校(高専)の教員となり、
念願通りに個室をもらって、研究・教育を仕事にできるようになりました。

これで自分の裁量で仕事をし、家庭のことも両立してやっていくんだ、
当時の自分は希望に満ちていました。

しかし、その考えが間違いであることに気が付くのに、
たいして時間はかかりませんでした。

実力のない自分は、実は膨大にあった高専の仕事量をこなすことができず、
自分の裁量を使って長時間労働・休日出勤をして、その仕事を何とかこなす日々になっていたのです。

自分と違って実力のあるベテランの先生方は、
裁量を使ってどんどんと仕事をこなしていき、
ワークとライフのバランスをとっています。

自分は「裁量」により、ひたすら長時間勤務と休日出勤を繰り返す日々。
ちょうどこの時期、二人目の子が生まれて妻の子育ての負担が大きくなり、
再び家庭がギクシャクし始めました。

個室と裁量権を使って仕事も家庭もうまくやる、
といった理想は、まったく非現実的なものであったことに気が付きました。

そしてついに、我が家最大の事件が訪れます。

ちょうど海外で学会発表のため4泊の出張に出かけた頃、
妻から毎日、その日1日の様子が送られてきます。
その内容は、まさに育児に疲れ切っている母親そのものでした。

そして出張最終日に妻から受け取った「もう疲れた」というメールは、
今までの結婚生活の中で、最大級の衝撃でした。

そのメールから、
「もうこれ以上、この働き方は限界だ」
と思い、海外出張から帰国してすぐに、上司に辞職の意を伝えました。

さて、仕事を辞めることにしたものの、
次の仕事のあてはありません。

いくつか仕事も探しました。

でも、

「勤めてしまうと、また多忙で家庭がぎくしゃくすることの繰り返しではないか。。」

この思いがあって、なかなか就職活動に身が入りません。

ちょうどその頃、大学に再入学して比較的時間があった頃に家族旅行で訪れた、
タイのパーマカルチャー村を思い出していました。

そのパーマカルチャー村では、自然から得られるエネルギーだけを有効に利用し、
ライフラインの通っていない山奥のジャングルで、
楽しく快適な暮らしを、ゆったりと実現していたのです。

ここを訪問した時、長年の自分の研究テーマであった
「エネルギー問題」に対する解決策の、
大きなヒントを得られました。

忙しすぎる暮らし

「エネルギー問題は、単にエネルギーの問題じゃないんだ、
エネルギー問題は、暮らし方、ライフスタイルの問題なんだ!」

わずか2時間のその村への訪問でしたが、
それ以来、ずっと「パーマカルチャー」という言葉が気になり、
自分も「パーマカルチャー」を実現しながらエネルギー問題を解決したいという気持ちを、
ずっと持ち続けることになりました。

次の仕事を考えていた頃、再びこのパーマカルチャーに対する思いが燃え上がり、

「そうだ、こうなったらもう、パーマカルチャーを仕事にしてしまおう!」

そんな勢いで、パーマカルチャー研究所の設立に至りました。

パーマカルチャー研究所では、暮らし、ライフスタイルを研究しています。

それは小さいころからずっと抱いてきた違和感に対する答の探求です。

・なぜ学校に行かなければいけないのか
・なぜ仕事に行かなければいけないのか
・なぜ嫌なことを我慢してやらなければいけないのか
・なぜお金がないと生きていけないのか
・なぜ毎日を、こんなに忙しく過ごさなければいけないのか

こんなことを考えながら日々を過ごしていくうちに、
今まで断片的だった悩みが、深いところで実はつながっていたことに、
突然気がつく瞬間がありました。

そして次の瞬間、こんな言葉を思いついたのです。

「自立的暮らし」

・幼いころからずっと、「行きたくない」と思っていた幼稚園、学校、会社。
・エネルギー問題
・自分の自己啓発書好き。

これらの一見関係なさそうな、
ぼくの悩みや興味が、
「自立的暮らし」という一言で、
すべてつながったのです。

「暮らしがお金に依存しているからだ。」

暮らしにはお金が必要。
だから、
いい高校、いい大学、いい会社、いいお金を得るために、
小さいころから学校へ行き、会社へ行かなければいけない。

便利で快適な暮らしには大量のエネルギーが必要だから、
地球環境レベルでエネルギーが不足し、
エネルギーが大量消費されて地球が温暖化し、
エネルギーを奪い合って戦争が起こる。

暮らしがお金に依存していることによる
日々の悩み・苦しみを解決しようと、
ずっと自己啓発書を読み漁って、解決策を探し続けてきた。

そうか!
自分の人生は今まで、自立的暮らしを求めて悩み続け、
そしてそれを何とか実現しようと日々もがき続けてきたのか!

自分の人生は、自立的暮らしを探し続ける人生だったのか!

学校に行きたくないと思い続けながらもがんばって学校に行ってきたことも、
大学で電力・エネルギーを研究分野として選んだことも、
エネルギーを扱う企業に就職したことも、
裁量権の大きい教員という職種を選んだことも、
悩みにぶちあたるたびに自己啓発書をひたすら読みまくっていたことも、

全部、自立的暮らしを求めてのことだったんだ!

今まで感じていた違和感ていうのは、

暮らしが依存的であって、
その依存の代償として払わされてきた「やらされ感」のようなもの、
それが幼い頃からずっと感じてきた違和感だったんだ。

ならば、暮らしを自立的にしていけば、
その違和感は解消できて、
家族で快適で穏やかな日々を過ごせるじゃないか、

そもそも暮らしって、当たり前に存在しすぎて暮らしがどうできているかなんて、考えもしない。

だから暮らしを見つめる、考え直すなんて思いもよらない。
現にこの違和感を解決できることなく、
30年以上も感じ続けてきた、

だけどその、「暮らし」を見つめなおすことが、この違和感の解決策なんだ。

暮らしがお金に依存しているなら、

お金ってそもそもなんだろう。

それを考えていかなければいけなくて、

そこから広がって、

・経済と自分の暮らしってどうかかわってるんだろう。
・どうしてぼくたちは、日々、不安を感じながら暮らしているんだろう。
・会社に勤めて言われることをやってお金を稼いでそのお金で暮らすものだと思っているけど、
・もし勤めないで、自分で仕事ができるとしたら、何をやるだろう?
・自分のできること、得意なこと、好きなことってなんだろう?

そんなことをひたすらひたすら考えること。
考えるだけじゃなくてそれに基づいて暮らし方を一つ一つ、
依存から自立に変えていくこと、

そういうことが必要なんだ!

そして暮らしを一から考えて、

依存から自立へ暮らしを変化させる実験をして、
そのときにどういう気持ちになるかを自分で感じてみて、
ほかの人にも応用できるように分かりやすく伝えること、

これが自分にしかできない仕事なんだ!

文字にするとこんな感じのことが、
突然感覚として一瞬に、ぶわっ!
と舞い降りてきて、

「そうか!そうか!そうなんだ!」

という風に、断片的だった今までの人生が、
すべて一つの「自立的暮らし」という言葉に凝縮されて、
意味を持ち始めたのでした。

「伝えよう。この感覚を、多くの人に伝えよう。」

こうしてぼくは、今まで断片的だったと思っていた人生が
全て統合されて、それが人生の使命になったような感覚を覚えました。

「自立的暮らし」に向けたライフスタイルを伝えていくという、
スタート地点に立ったのです。

さて、あらためて、お聞きします。

・日々、自分の暮らしに満足できてますか。
・「忙しい」「バタバタして」が口ぐせになっていませんか。
・家庭を犠牲にして、仕事をしていませんか。
・幸せなはずの育児が、大きなストレスになっていませんか。
・日曜日の夜、次の日が来ることがいやではありませんか。
・長期休暇の後、元気がなくなりませんか。

これらに「ノー」と言えない場合、
それは暮らしが依存的になっている可能性大です。

もうそろそろ、忙しくて大変でストレスだらけの日々を、卒業しませんか?

その状況、あまりに当たり前になりすぎて疑問すら持たなくなっているかもしれません。

だけどそうでない日々を送ることって、手順を踏んでいけば、実現できるんですよ。

昔の自分のような、

忙しい、
不満、
何とかしたい、
だけど忙しすぎて考える時間がない、
だから永遠に忙しさを抜け出せない、
そのうち、家族や友だちなど、もっと大事なところが少しずつ壊れていってしまう、、、

そんな負のスパイラルに陥ってもがいている人、

そんな人をぼくは助けたいんです。

で、怒られそうだけど、そんな人にお伝えしたいこと。

「その状況、その気になれば、すぐに抜け出せるよ。
だって、自分を忙しくさせてるの、結局自分なんだから(笑)」

今から数十年前の高度経済成長期、

その頃は、みんなが同じ方向を向いてがんばれば、
物質的豊かさがほぼ必然的についてくる時代でした。

その頃は、
「嫌なことでも一定時間がまんしてがんばれば、豊かさはついてくる」

そういった教育、風潮がありました。

あれから数十年、
時代は経済成熟社会です。

そのころとは違い、時代は多様化、複雑化、高速化しています。

嫌なことを一定時間がまんしてやっても、だめなんです。

もはや方向は、「嫌なことを一定時間我慢してやればいい」
という一つの方向だけじゃ、全然ないんですから。

むしろその方向が、ぼくのように家庭を破滅に向かわせることも多々あるんです。

だけどぼくらは、
成果が出ないのはがんばりが足りないせいととらえ、

もっと我慢してやらなければ、
もっとがんばらなければ、

そんな風に考えるから、

長時間労働、増えてますよね。
うつ病患者、増えてますよね。
ストレスの連鎖とも言えるハラスメントも、増えてますよね。

高度経済成長期なら、
暮らしをお金に依存させてて、ダイジョブだったんです。

だけど今の時代、もうこの働き方、
かなり限界に来てるんですよ。

あの時代、サラリーマンでいることにそれほど苦痛を感じている人、
今ほどはいなかったと思います。

だけど今、
正社員はサービス残業、休日出勤で拘束され、
非正規社員は保障も給料も少ない、

そんな状況が年々増えてきています。

サラリーマンで幸せを感じられる人の割合が、
時代の変化とともに減ってきているんです。

だけど、教育や社会の風潮は、
いまだに高度経済成長期のまま。

ここに問題点がありあす。
だから今の時代に合った考え方、暮らし方、ライフスタイルが必要なんです。

だけどその、新しいライフスタイルって何?

モデルがないんです。
あったとしても少数派。
今度はそれを実践しようとするのも少数派になる怖さがあったり。

そんな感じで一筋縄ではいきません。

こうして考えてみると、
日々忙しすぎる、うまくいかないのは、
必ずしもあなただけのせいではありません。

「日々、バタバタして、ストレスたまってませんか?」

この質問に対し、

「いや、全然。
好きなだけ寝てるし、好きな人と好きな仕事しかしてないもん」

そう言える人は、多くはないと思います。

だけど、

「そりゃストレスたまるよ。
だけど忙しいんだから、人生そんなもんなんだから、しょうがないだろ」

と言って平然としていられる人もまた、多くはないと思います。

それじゃあ、自立的暮らしをするためにはどうするの?

それに必要な考えを、
パーマカルチャー研究所では一言でまとめました。

ずばり、

「遊暮働学(ゆうぼどうがく)」

です。

この言葉は、「遊」びも仕事(遊暮働学の「働」くこと)も「学」びも、
全部「暮」らしの中にある、
だから究極的には、ただ暮らしていればそれでいい、

そういう考えです。

現代社会を考えてみると、

暮らすためにはお金が必要。

だから、
いい高校、いい大学、いい会社に入って、
そこでいい給料をもらって、そのお金で暮らしていかなければいけない。

そのためには教育にもお金がかかります。

がんばって勉強していい会社に入っても、
待っているのは過剰なストレス。
そのため、仕事の後や休日にはストレスを発散するため、
またお金をたくさん使います。

こうして、終わりのない多忙な日々が続いていきます。

だけど遊暮働学では、
タイのパーマカルチャー村がそうであったように、

暮らしていることそれ自体が、仕事であり、学びであり、遊びなんです。

例えば、暮らしに必要な小屋を家族で作ります。
小屋を作るという仕事をしながら、
子どももそれを見て自ら学び、
また、それは自分たちのペースでできるから、
遊ぶようにその仕事をできるんです。

暮らしのあらゆる部分をそうやって過ごすことで、
ただ暮らしていれば暮らしが成り立つというような、
夢のようなことが成り立ちます。

夢のようなと言いましたが、貨幣経済が発達する前は、
きっとそのような暮らしは当たり前だったのでしょう。

このような暮らしを、現代の貨幣経済システムの中であっても
並列的に、バランスを取りながら実現してしまい、
日々を穏やかに過ごす新しいライフスタイル、

「遊暮働学」

を実現する方法を、
パーマカルチャー研究所では実践的に研究をし、
情報を発信していきます。

遊暮働学で、自立的暮らしを実現しましょう!

このような、

遊暮働学を基本とした自立的暮らし

を実現できる人を増やすべく、

パーマカルチャー研究所ではメルマガを使って、

新しいライフスタイル、それに必要な知恵や考え方を

発信することにしました。

忙しすぎてストレスばかりの現代社会。
そろそろ、卒業しませんか。
定年まで待っていては、今度は大事な気力や体力というものが、
衰えてしまっているかもしれませんよ。

遊暮働学でゆっくりとした日々、
満足感を感じられる日々、
家族や友達を大事にできる日々、
自分の好きなことや得意なことに集中できる日々、

そんな暮らしは、自分次第で作れるんです。

何も今すぐに仕事をやめましょうとか、そういったことではありません。
日常の暮らしというものを少しずつ見直していく中で、
自分が本当に望む暮らしを一緒に考えていきましょうということです。

それを考えていくうえで、ある人は今の仕事を辞めるかもしれませんし、
ある人は今の会社に所属したまま、働き方だけを幸せな方向に変えてしまうかもしれません。

勤めている人だけではありません。

  • 幸せなはずの子育て時期に、なぜだかイライラしてしまっているお母さん
  • 就職活動にどうしても身が入らない学生さん
  • 夢のキャンパスライフを想像していたのに、実際はただただ毎日の講義とレポート締切に追われるだけの大学生

そんな、立場や状況の異なる方々でも、

この長い文章をここまで読んでくれて共感してもらえる方でしたら、絶対にこのメルマガへ参加してよかったと思えるのは、間違いありません。

今の現代社会に生きながらも、

同時に「遊暮働学」的にただ暮らしに集中できる、
ゆったりとした日々を実現すること、
これはもう、自分の気持ち次第で確実に実現ができます。

メルマガでは、このような日々を実現するための考え方を発信していきます。

そしてこのメルマガ自体を、自立的暮らしを目指す人たちのコミュニティの場として、
読者の皆さんと一緒に育てていきたいと思っています。

忙しすぎるだけの日々を卒業して、
遊暮働学でゆったりと、自分の本当に好きなことをして、
日々暮らしませんか。

もしも今、この文章を読み終えてソワソワとした、ワクワクとした気持ちが心の奥底で動き始めているのならば、

メルマガの登録という人生を変える小さな一歩を踏み出すことを、
ぼくは願っています。

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2 件のコメント

  • 半世紀の人生節目を前にして、生き方を考え直そうとしてるのかもしれません。まだ分かりませんが!情報を楽しみにしています。

    • 鈴木さん、ありがとうございます。
      このブログですが、生き方を考え直そうとする方には、
      色々と感じていただけることがあると思います。

      今後ともよろしくお願いいたします。